堅実さんのブログ
どじょう取り(6.10.17)9時49分
小学生の3年生から5年生くらいまで。よく、ドジョウ取りをした。
田んぼの脇の人口の小川にいたのである。装備はブリキのバケツと、竹製の庭を掃除の時に使う「ちりとり」だった。
大体、いる場所が分っているので、結構、小さいのが取れた。しかし、何時も、ズボンは、びしょ、びしょに、濡れてしまった。家に帰ると、母親に何時も、怒られた。それでも、懲りなかった。取るのが、面白かったのである。
6年生の時か、珍しい、ザリガニを、2匹とった。これがおそらく、「日本ザリガニ」だと思う。アメリカザリガニとは違い、前の大きなハサミが小さかった。それに、全体の色が、赤ではなく茶色だった。そして、少し青みがかっていた。それに、ここには、アメリカザリガニは1匹もいない川だった。だから、これは、日本ザリガニだと思う。
また、ここでは、どじょう釣りもした。餌はミミズである。ドジョウが釣れればよいのだが、イモリが釣れると、これは困った。イモリは、ミミズを飲み込んでしまうので、針がとれない。仕方ないので、その針は切ってしまった。いもりは好きではないので、その辺に捨ててしまった。
どじょう釣りは、妙見寺の前の池でも結構した。ここでは、「どじょう」だけではなく、アメリカザリガニもつれた。ただ、アメリカザリガニは、沢山いたので、大体、捨ててしまった。
小学4年生の頃から、自転車で、遠出をするように、なった。利根川まで行くのである。利根川の脇が池のようになっていた。総社鉱泉と呼んでいた。ここでは「はや」が釣れた。「クチボソ」や、「がらっぱや」が釣れた。「がらっぱや」は、直ぐに、死んでしまった。
また、前橋市の「幸の池」にも、よく行った。ここでは、「はや」だったが、「くちぼそも」いた。
6年生の時は、正観寺(現在、群馬高専になっている)の池にブリキのバケツを持って、「はや」を取りに行った。
丁度、池の水を抜いて、池には、水たまりだけだったので、数百匹の「はや」がとれた。しかし、この頃から魚とりには、興味がなくなっていった。何か、つまらなくなったのである。結構、この頃はいろいろ、遊んだもんだ。
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風車の弥吉さん2024/10/17 16:42こんにちは。昔を思い出しました。スーパー、コンビニのなかった時代、ウナギは高価なので、田んぼで泥鰌を取ってきて、泥鰌鍋を食べていました。ウナギほどの味はなかったようですが、結構おいしかった思いが残っています。まぁ自給自足の時代ですから、川魚の鯉やアユ、モクズガニなど捕ってきては食していました。
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kouboudaisiさん2024/10/17 17:16何時もお世話になっております。私などは貧乏公務員の小せがれでした。小学校低学年の頃は鯖の缶詰、鯨の缶詰、秋刀魚の缶詰、魚肉ソーセージ等が蛋白源でした。
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tukumodayoさん2024/10/17 18:11堅実さんへアメリカ・ザリガニも見かけなくなりましたねぇぇぇ~・・・・・小生が幼い頃は、田畑に沢山棲息していましたけどね。9歳の頃、転校先で友達も少なくザリガニ釣りを夏休みにしていた頃が思い出されますね。ベランダのタライに100匹程度は居たと思うのですが、ある日小学校から帰宅しましたら、タライのザリガニが全て消え去っており、炊事場から何やら煮炊きの匂いがしていましたので覗いたら、親父が我がザリガニを全部煮ておりましたね。やれやれ。フツフツと怒りがこみあげてはおりましたがお前も食べたらと言われて、食べた記憶がありますねぇぇぇ~かなり美味しかったと思いますね。でも、帰宅した母親から、農薬に汚染された、ザリガニなど子供に食べさせるなぁ~と、激怒致した母親からアホな親父は叱られておりましたね。やれそれ。まぁぁぁ~その様な記憶が蘇りましたね。最近は、農道お散歩でもアメリカ・ザリガニを見かけなくなりましたね。
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堅実さん2024/10/17 20:56風車の弥吉 さんへ「スーパー、コンビニのなかった時代、ウナギは高価なので、田んぼで泥鰌を取ってきて、泥鰌鍋を食べていました。ウナギほどの味はなかったようですが、結構おいしかった思いが残っています。」そうですか。その頃は、戦後の物不足から、次第に、豊かになる時だったですね。「まぁ自給自足の時代ですから、川魚の鯉やアユ、モクズガニなど捕ってきては食していました。」春は、田んぼのセリをとって、食べました。農家だったので、野菜はありましたが、春の味だったです。
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堅実さん2024/10/17 21:01koboudasi さんへ「私などは貧乏公務員の小せがれでした。小学校低学年の頃は鯖の缶詰、鯨の缶詰、秋刀魚の缶詰、魚肉ソーセージ等が蛋白源でした。」私も、同じです。目刺し、昆布の佃煮、秋刀魚でした。南極のオキアミの佃煮もよく、たべました。クジラは、どういう訳か、食べませんでした。ラジオから、紅孔雀が流れておりました。これといった、楽しみは、無かったですが、頑張れば、生きられるという、高揚感は、ありました。
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堅実さん2024/10/17 21:24tukumodayo さんへ「アメリカ・ザリガニも見かけなくなりましたねぇぇぇ~・・・・・小生が幼い頃は、田畑に沢山棲息していましたけどね。9歳の頃、転校先で友達も少なくザリガニ釣りを夏休みにしていた頃が思い出されますね。」同じですね。ドジョウ釣りをしている時、するめを餌にしてザリガニ釣りをしているのも、おりました。このザリガニは、面白いもので、ハサミでつかんだら、放さないという、習性があります。時間をかけて待っていると、糸が次第に、動いて、ゆくのです。早すぎると、ザリガニはハサミを広げて、逃げてゆくのですが、十分に時間を置くと、今度は、絶対に、掴んだものは、放さないのです。これが、面白いんです。持ち上げてみても、話さない。そこで、捕まえられてしまうのです。「ベランダのタライに100匹程度は居たと思うのですが、ある日小学校から帰宅しましたら、タライのザリガニが全て消え去っており、炊事場から何やら煮炊きの匂いがしていましたので覗いたら、親父が我がザリガニを全部煮ておりましたね。やれやれ。フツフツと怒りがこみあげてはおりましたがお前も食べたらと言われて、食べた記憶がありますねぇぇぇ~かなり美味しかったと思いますね。でも、帰宅した母親から、農薬に汚染された、ザリガニなど子供に食べさせるなぁ~と、激怒致した母親からアホな親父は叱られておりましたね。やれそれ。まぁぁぁ~その様な記憶が蘇りましたね。」そうだったですか。わたしは、ザリガニを食べた記憶はないです。「最近は、農道お散歩でもアメリカ・ザリガニを見かけなくなりましたね。」最近は、仕事で、数十年、川をみてないのですが、ザリガニが、減ったですか。このザリガニは、生命力が強くて、汚い川でも、生きられるのが、特徴でした。きれいな川は、カジカが住んでおります。かつて、家の裏の川には、少なかったですが、カジカが生息しておりました。その他、蛇やカエルは履いていてすてるほど、おりました。不思議なことに、「マムシ」はいませんでした。マムシを見つけると、農民が、目の敵にして、殺してしまうからだったと、思います。村の映画会の合間に、駐在所の警官が、常に、マムシのことを、放送していたことが、効果が有ったのだと、思います。マムシに、かまれたら、直ぐに、駐在所か、診療所に行き、血清の注射をしなけらばならないと。当時、電話が、どこの家にもなかったので、この啓蒙活動は、役だったです。