堅実さんのブログ
山月記 5年9月9日(土)12時31分
中島敦の短編小説、山月記は、あまりにも有名である。教科書にも、度々、取り上げられている。自信家の男でありながら、臆病な自尊心と、切磋琢磨せずに怠けた末に、最後には、発狂して虎になってしまうという物語である。
ここで、反論として、努力もしないで、平凡に生きられれば、それでよいという考えもある。努力をすることは、我慢と苦痛を伴うものである。それならば、平凡に生きるのが、無難でありイージ―であり、目先は生きやすいのである。
どちらを選ぶかは、その人次第だ。ここで、大体の人は、あまり考えもせず、毎日を生きているのである。どうも、小生の生き方は、少数な生き方である。そして、これは、生きずらいことでもある。場合によれば、社会から、相手にされないことでもある。何故、これを選んだかは、「その先」が知りたいからである。
山月記(さんげつき)は、中島敦の短編小説。1942年(昭和17年)に発表された。
あらすじ
唐の時代、李徴は若くして科挙試験に合格する秀才であったが、自信家で、一介の官吏に満足できず詩人として名声を得ようとした。官職を退いたために経済的に困窮し挫折する。妻子を養うため再李徴は、地方の下級官吏の職に就くが、自尊心の高さゆえ屈辱的な思いをしたすえ、河南地方へ出張した際に発狂し、そのまま山へ消えて行方知れずとなる。
翌年、李徴の旧友で、袁傪(えんさん)は、旅の途上で人食い虎に襲われかける。虎は袁傪を見ると茂みに隠れ、人の声で「あぶないところだった」と何度も呟く。その声は李徴だった。
李徴は袁傪に自分の詩を記録してくれるよう依頼し、袁傪は、一行の者らに書きとらせる。袁傪は、「作者の素質は第一流に属するものであるが、第一流の作品となるのには非常に微妙な点において欠けるところがある」とこう評価した。
李徴は自分が虎になった理由に思い当たる点がある。それは臆病な自尊心、尊大な羞恥心、切磋琢磨をしなかった怠惰のせいであると告白する。
李徴は妻子に「己はすでに死んだ」と伝えること、生活に困ることのないよう配慮して欲しいと依頼する。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているから、こんな獣に身を堕すのだ。李徴は虎になった理由にとうとう辿り着き、自己中心的だった己の性情を反省する。
-
タグ:
みんなに配ればはめられることもない。
草刈りしてる人などはご苦労様というのが良い。
殆どがえらい人だから。
工事してもらってるとこだと、
缶コーヒーなど配りました。
草刈りしてる人などはご苦労様というのが良い。殆どがえらい人だから。
工事してもらってるとこだと、缶コーヒーなど配りました。」