堅実さんのブログ

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村の映画会 5年2月28日(火)20時40分

(株式ですが、投資資金は、順調に増えているのに、どうも喜べないんです。それは、低PBR、低PER銘柄が、押し目らしい、押し目がないのです。短期的天井は来ると思うのですが。買い増しできないのです。それと、3月は下がると予想です。新値チャートが、日足で陰線をつけました。それ以外の指標でも、やや、下るサインを出しております。)

 

それでは、昔の村の映画会になります。

 

 いろいろ、思い出している中に、青年団が主催する村の映画会が、あった。それが、不思議なんですが、前橋の映画館で上映する一日前の夜だった。群馬県では、最初の映画ということになる。

「透明人間とはえ男」「有楽町で会いましょう」「こばん鮫」など、映画会の次の日に新聞の下に、映画館で上映するという広告があった。映画館の御好意か、あるいは、料金を払ったのか、もう、今となっては、分からない。

また、昔の古い映画も上映された。「赤胴鈴之助」、「マレーの寅、ハリマオ」、「風小僧」「旗本退屈男」「君の名は」年末には「大忠臣蔵」などであった。


 映画会は、小学校の校庭で有り、村中の人が見に来た。観客は300名くらい。まあ老人などは、来なかった。

青年団の挨拶から始まり、映画の合間に、駐在所の警官が、群馬県公安員会からの、お知らせということで、毎回、挨拶をした。記憶に残るのは、交通事故だ、脳に損傷を受けた場合、この辺では、東大病院しか手術ができないので、くれぐれも、気を付けてくださいという事だった。その頃は、村の中に、三輪車が、3台くらいの時代だった。信号機などない。前橋でも、信号機は無かった。道路は殆ど、舗装されておらず、「砂利」さえも、まかない道路だった。


前橋でも、簡易舗装がやっとで、国道17号線の交差点では、おまわりさんが、台の上で、手で止まれ、行けの手信号だった。


 小学校には、各家庭で、むしろ(稲わらで編んだ絨毯)を持参して、よい場所を陣取り、するめ(イカの干物)や、飴や、お菓子を食べながら、見たものだ。

 また、別に、小さな映画会もあった。家のすぐ近くの神社での映画会だった。これは小規模で、観客は50名くらいだった。鐘紡の毛糸を糸にする映画や、稲の収穫を大きくするために、田んぼの稲の植え付け感覚を、短くした映画や、アフリカの野生動物の映画などであった。今では、テレビで、野生動物番組は、数多くあるので、珍しくないが、当時は、にしき蛇などを見て、おおきな蛇で、こういうものかと、思ったもんだ。

 

6件のコメントがあります
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    こんばんは。
    現在の食べ物の商品などは販売は法事用の煎餅コーナーが行列です。
    ネットで会社が倒産すると、みんなで煽れば警戒するので煽りで、
    風説の流布で以後において汚点を残す事になります。
    気負付けてます。経済の行事があって空売りしてでも稼ぎたいと言う
    人もいます。私は長生きしたいので売り上げから計算して今年の三月
    などは日本の観光医療で東京は医者に診療目的で病院に来る方が多い
    です。今年は特別に観光医療が寄与してます。
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    堅実さん
    2023/2/28 21:24
    ISAY企画  さんへ

    まあ、いろいろ、有りますが、お互いに、がんばりましょう。

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    小督さん
    2023/2/28 22:27
    こんばんは 

    青年団って今で言う自治会みたいなものですよね

    地域の青年団活動は消防団くらいしか思いつかないのですが、
    映画も主催されるとはその活動も多岐に渡るのですね 
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    kouboudaisiさん
    2023/3/1 01:43
    こんばんは!何時もコメントありがとうございます。
    >小学校には、各家庭で、むしろ(稲わらで編んだ絨毯)を持参して、よい場所を陣取り、するめ(イカの干物)や、飴や、お菓子を食べながら、見たものだ。
    そうですか~!私などは秋田県に住んでいた頃、プロレスの試合をそのようにして観覧した思い出がありますが、食べた物はキャラメル、チョコレート、かっぱえびせん等でした~!




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    堅実さん
    2023/3/1 11:03
    小督  さんへ

    「青年団って今で言う自治会みたいなものですよね地域の青年団活動は消防団くらいしか思いつかないのですが、映画も主催されるとはその活動も多岐に渡るのですね 」

    当時の青年団活動は、戦後の敗戦の傷跡から。さあ、これからの日本を何とかしようという、気構えがありました。 4H運動(ヘルス(健康)、ハート(心がまえ)あと2つ有りました)を基本として、これからの、村の発展はどうするかと、神社の社務所(無人)に集まって、いろいろ、討議しておりました。活気があったです。各集落毎に、このような、会合はありました。
    「若い根っこの会」なんてものも、ありました。
    そして、消防団とかなり、構成員が重複しておりました。毎年、冬には、消化訓練を行いました。そこで、今でいう、男女の、交際もありました。

    小学校の、運動会には、青年団の、仮装行列とか、運動会の入場門を作るとか、いろいろ、やっておりました。その中の一つが、映画会です。
    当時の、小学校の運動会は、村中で、行っておりました。村の娯楽の一つだったのです。

    秋には、村の、勤労感謝の日ですが、演芸会を、中心になって、行いました。
    村は、当時は、貧しかったですが、戦後の復興にむけて、活気がありました。
    今の方が、若者は、孤独で、さえない生活をしているとも、感じます。豊かさと、幸福感は、別ですね。








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    堅実さん
    2023/3/1 11:12
    kouboudaisi   さんへ

    「私などは秋田県に住んでいた頃、プロレスの試合をそのようにして観覧した思い出がありますが、食べた物はキャラメル、チョコレート、かっぱえびせん等でした~! 」

    時代を感じますね。テレビなど、どこの家にも、有りませんでした。
    チャンバラ遊び、女の子はゴムまり遊び、めんこ(ぶっつけと、呼んでました)、地面に絵を描く遊び(紙が、貴重だったからか)などです。
    紙芝居やさんが、来て、ねじり飴(水あめ)を売ってました。
    車が無いので、道路で、やっても、安全でした。
    かっぱえびせんですか。これは、小生が、高校の頃ですか、食べたことが、あります。 齢の差かな。




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