jojuさんのブログ
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★★自由のある所には孤独しかない?(自由が全ての原動力)
自分の人生の希望、、、それは自由にモノを考え、自由にモノを書ける状態を維持すること(そこでの議論から、より理に適った考えを見つけること)。
当然、これはプライベートでのことで、仕事では組織の利益に忠実に行動し続けてきたつもりである。
ただ、反社会的になりうる方向で仕事をすることは極力回避してきたし、その範囲での報酬(ポストも)に甘んじることは良しとしてきた(目先の組織益になるけど、中長期では社会益と整合しない仕事ってのも結構あります)。
それが自分にとっては、幸福度を最大化することになるからである。
大抵の男はポストのために仕事をするし、それは報酬とリンクされてるのだが、自分にとってポストは職務上の(ミッション遂行のための)歯車という本来の意味しかない。
自分にとって重要なのは、希望の人生をつつがなく送るための報酬なので、仕事の報酬を補てんする休日の投資業務は自分には必須である。 それは思考を広げ、深めるためのベースでもある。
自分はそういう指向の人間なので、プライベートで自由に考え、書け、議論できる環境を阻害するようなモノには極力関わりたくない。
自分はプライベートで付きまとわれることがなぜか(笑)多いのだが、それは全てその類のモノである。 ヒマだよね(--;
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余談、、、「自由」と「結束」を相反するものと考えるのはありがちな誤り(自由のあるところには孤独しかない、、という歌詞があったが、これは働くと貧しくなる、と言うのに近い)
正しくは、「自由」が無ければ「結束」は維持できない、、である。
なぜなら、「自由」は「自立」とリンクしてるから。
「自由」と「自立」がリンクしてるのは、他者への「依存」で真っ先に失われるのが「自由」であることを考えると分かりやすい。
だから、「自由」を希求する個人は必ず「自立」指向になる。
「自立」指向とは、他者との関わりでいえば、ギブアンドテイクを守る、ということである。
そういう人間たちが作る集団は、もたれ合い、たかり合いにならない。
強い組織になる。
それゆえ集団として豊かになっていき、それにより結束力、組織力がさらに高まる、、、好循環が生まれる。
「自由」だから「結束」しないんじゃないかって?
否。
「自由」を守るためには「自立」が必要で、「自立」のためには豊かさが必要で、豊かさを得るには集団を組む、強い集団を作るのが有利だから、そこでは結束するのです。
要するに公私のしゅん別ってことで、「自立」指向ゆえ(他者に一方的に頼らない分)頭を働かさざるを得ないので、その程度の知恵は自然と身につくのです、、そういう人間は。
逆に自立なき個人の集団はもたれ合い、たかり合いになる。
これでは互いに猜疑心が高まり、ホントの結束力・組織力は高まらない(そういう会社、田舎、国家って多いかも)
そういう集団の組織力は弱く、もろく、強く豊かにはなれない。
集団としてジリ貧になるので、その内部はますます、もたれ合い、たかり合いになる。
こうして集団は崩壊していく。
、、、つまり、自由=自立=助け合い=組織力=強さ・豊かさ。 この好循環を回す原動力は「自由」への飽くなき希求(「依存」と同時に失われるのが「自由」だから)
(「自立」がベースにある「助け合い」と、「依存」がベースにある「たかり合い・もたれ合い」は似て非なるもの。 これは、「社会保険」と「社会保障」の違い、、とも言える。 社会に個人生活を保障する義務はない。 これは、お前ら、おれ様の生活を保障しろ、と言ってるのと同じ)
上の公式は経済・政治・社会を見るうえで、マクロ分析するうえで重要ではないでしょうか?
社会保障、労組、社会主義、左翼思想の不合理さ(カルト性)もここから見えてくる。 そこにGAT(ギブアンドテイク)、公正という発想はないからです。
(補足) 自立と依存を使い分けて個人益の最大化を試みる行動は大抵失敗する。 目先のイージーさで依存に走りがちになり、自立が困難になっていくから。
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上記の公式は、人材採用にも生かせそうである。
「依存」度が高い人間たちは組織力を弱めるうえ、労組、学閥・派閥などミッション相反の社内政治の温床になるので、そういう人間は極力採用ではねるか、非正規採用に留めるのが望ましい。
さらに付け加えると、人材採用でのもう一つポイントは「サメ」の排除。
(サメとは、個人の手柄のために仲間のアシを引っ張る奴。 アグレッシブで使える面もあるがサメの共食いに似てる。 組織力は個人の力よりずっと重要なので、個人のアグレッシブさをある程度削いでもサメを排除したほうが組織は強くなる)
CIAは人材採用において、ここに細心の注意を払うそう。
命がけの仕事だから当然ですね。
(補足) 「依存」度の高さ、「サメ」度の高さは、一見相反するようだが、賢さの不足=利益追求に対する姿勢の甘さ、という点で同じである。 前者が人間のペット化による賢さ低下ならば、後者は人間の野生化による賢さ低下(先進国では前者が多く、発展途上国では後者が多く、先進国でも学級崩壊が進むと後者が増える。 体罰禁止で崩壊した学級は公正を保つべき教師が機能しないので、児童間の関係が弱肉強食化し発展途上国的環境に近くなるからである)
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プライベートで自由にモノを言い、書くことは(自分の会社含め)ヒトの迷惑になるだろうか?
否
誰かにとって迷惑なようなことでも、言ってることが不合理ならば、それは実現せず実損はない。
言ってることが合理的ならば、それは避けようのない「事実」のようなものであり、言っても言わなくても、それはやがて実現してしまう(不合理なことを続けるのは無理があるから)。
この場合は、このまま進むと「ガケ」に落ちますよ、と言ってあげてるようなもので、実はヒト助けになる。
だから、自由にモノを言い、書いても、誰にも迷惑はかからない。
仕事での組織上の守秘義務(反社会的でない秘密)を守っている限り、自由な言論には何の害もない。 利益しかない。
ゆえに、自由な言論を封殺するのはそれが誰であれ自爆行為。
過剰に(笑)臆病な日本人には自由な言論、議論は、なかなか根付きにくいでしょうけど。。(これも現代日本人の最大の欠陥の一つ。明治の日本人はそうでなかった)。
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バックがいると自由が無くなってつまらんかもです。
自分がストーカーを避け続けるのはバックを持ちたくないからでもあります。
そんなものが大いに役立つ世界は大したことはない、と思うのです。
まあ、商売的、対外的にはバックでも接待でも何でも利用してしまえばいいのですが(バカにはバカ向けの稼ぎ方で稼ぐ、、というか)、社内的、プライベートではそれを持つメリットは低いんですよね。
社内の場合、将来的にどう力関係が変わるか分からんですから、全方位外交+その時々でのプラスアルファ、、というのが一番良い身の処し方でしょう(自分の場合、それすらアホらしいので、若くして自ら窓際方向に動きましたけど(笑))。
ミッションと相反するような、こんなことに気を使わせまくる組織ってのは半分終わってるようなものですねww
おそらく日本や中欧・南欧ではそういう組織の比率が高いでしょう、、役所化してる企業、労組が巣食ってる企業が多そうですから。