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「世界のIoTを支えているのはベイシスだ」と言える日を目指して 経営者を夢見た吉村社長が、故郷に錦を飾るまで 

投稿:2024/03/19 15:00

~morichの部屋 Vol.6 ベイシス株式会社 代表取締役社長 吉村公孝氏~

福谷学氏(以下、福谷):はいどうも、今宵も始まってしまいました。「morichの部屋」は今回が6回目ですね。

森本千賀子氏(以下、morich):6回目です。本当にあっという間ですね。

福谷:あっという間ですね。前回は1月末の開催でした。今日はなんとバレンタインデーです。

morich:そうなのです。

福谷:バレンタインデーにすばらしい方をお呼びできて、これほど良い日はないと思います。

morich:本当に呼んでしまってよいのかと思いましたね。

福谷:そうですね。前回から2週間しか経っていませんが、今回もすてきなゲストをお招きしました。morichさんは今回もゲストの情報のシャワーを浴びて来たのですか?

morich:はい、浴びました。そういえば、持ってきたものがあります。最近は義理チョコももらえない時代になってしまったということで、みなさまにチョコレートを差し上げます。

吉村公孝氏(以下、吉村):ありがとうございます。

morich:福ちゃんもどうぞ。

福谷:めちゃくちゃうれしいです。

morich:仕掛けがありますので、後で開けてください。こちらのカードは愛のメッセージです。中を見てもらうとわかるのですが、少し食べづらいと思います。理由があるのですが、食べづらいものが入っています。

吉村:ありがとうございます。

福谷:morichさんはお洋服も真っ赤ですが、見てください、真っ赤なメッセージカードです。

さて、今日のゲストには実は、去年の8月頃からずっと連絡し続けていました。「morichの部屋」にもお越しいただけないかと思い、アプローチしていたのですが、なかなか難しいというお返事の中でご縁をつないでくれたのが、前々回にご出演してくださったスパイダープラスの伊藤社長です。伊藤社長と仲の良い人が今日のゲストです。

morich:そうなのですか。では安心して、無礼講でお話しできますね。

morichの自己紹介

福谷:ゲストもお招きしたいと思いますが、morichさんのことをまだ知らない方がいるかもしれませんので、まずmorichさんの自己紹介からお願いしたいと思います。

morich:吉村社長にも本日初めてお会いします。morichといいます。もともと新卒でリクルートに入り、そちらに25年間務めていました。私の同期はアラサーかアラフォーになると、早々に辞めてしまったのですが、私は人材紹介業をずっと続けて、25年間、サラリーマンでした。

その間で、特に私のターニングポイントになるのが東日本大震災です。「明日何があっても効果がない」と思い、今でいう副業を始めました。そこから二足、三足のわらじを履きながら働いてきたのですが、2014年にリクルートが上場します。

そのタイミングで、やはり上場会社としてガバナンスやコンプライアンスが厳しくなってしまいました。少し窮屈だと感じて2017年に卒業し、morichという会社を立ち上げて独立しました。

事業としては人材紹介で、特にCXO、つまり経営幹部のご紹介をメインで行いながら、スタートアップ企業の応援団として、社外役員や顧問などというかたちで名刺を20枚くらい持って事業を展開しています。

福谷:すごいですね。どこを見てもmorichさんがいます。知り合いの「Facebook」や「X」をよくチェックするのですが、どこを見ても絶対にmorichさんが出てくるのです。活躍ぶりが本当にすごいです。

morich:5人いるのではないか説が浮上しています。大学生と中学生の子どもたち2人を少しだけ子育てして、1ミリくらい妻という感じです。

福谷:本当に公私ともにすばらしい方だと思っています。さて今回、6回目を迎えました。

morich:めちゃくちゃ楽しみにしていました。どこを見ても男前で、今日はドキドキしています。今までの方がそうではないというわけではないのですが、本当に、どの写真を見てもイケメンで、少しドキドキしています。

吉村社長の自己紹介

福谷:それでは、ゲストをお呼びしようと思います。morichさん、お願いします。

morich:ベイシス株式会社代表取締役社長の吉村公孝さまです。今日はよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

morich:最初に自己紹介をお願いします。

吉村:わかりました。あらためまして、吉村です。ベイシスの社長を務めています。自己紹介はなにを話せばよいですかね。

morich:後で紐解きますので、本当にさらっとお話しいただければと思います。

吉村:1972年生まれの51歳、広島県出身です。ビジネスのお話は後でしましょう。趣味はゴルフで、最近は少し筋トレもしています。

morich:鍛えているのがわかります。

吉村:後はお酒ですね。

morich:広島ご出身ですのでカープがお好きなのではないですか?

吉村:そうですね。広島出身でカープの野球観戦などですね。このあたりが趣味です。

福谷:今日は事前打ち合わせのようなことをさせてもらったのですが、「レッドが自分のイメージカラーだ」とお聞きしました。私の中ではmorichさんも真っ赤のイメージで、いつも真っ赤な服を着ているのです。吉村社長も真っ赤がイメージカラーだということです。

吉村:ぜんぜん赤の要素がない服を着てきてしまいました。

morich:同じにならないように気を使ってくださったのだと思います。

吉村社長の少年時代

morich:吉村社長は、生まれも育ちも広島なのですね。幼少期のお話から聞いていきたいと思うのですが、どんな少年でしたか?

吉村:僕は広島県の三原市という、とても田舎の地域で生まれました。両親が職人で、祖父もそうです。職人の技術系家系に次男坊として生まれ、兄がいて三男である弟がいます。

morich:両親ということは、お母さまもですか?

吉村:母もです。父はいわゆる内装の職人です。インテリアの職人です。母は洋裁、ドレスや洋服などを縫うような職人でした。

morich:私の父も内装の職人で、母は京友禅の帯を売っていました。似ていますね。

吉村:祖父は瀬戸内海に浮かぶ漁船などを作る船大工です。職人家系で生まれ、周りがそのような環境でしたので、子どもの頃から「なんとなく技術的な仕事をするのかな」というイメージを持っていました。

morich:では、図工などが得意だったのですか?

吉村:そうですね。図工もそうですし、どちらかというと理科系が得意でした。文系よりは理系という感じですね。

morich:中高あたりはなにか部活をしていましたか?

吉村:小中高はバスケットボールをしていました。

morich:バスケ少年だったのですね。高校は進学校に進んだそうですね。

吉村:そうです。ですので、小中でそこそこスポーツもして、勉強もそこそこできるくらいの学生でした。高校は、田舎ですので都会の高校に比べるとレベルが低いですが、地域では一番の進学校に進学しました。

そこでももちろんバスケットボールをしていましたが、ただ、進学校の真面目な校風になじめませんでした。

morich:おそらく、周りはみんな、大学受験に向けて勉強していますよね。

吉村:はい、そのとおりです。みんな勉強ばかりしていました。僕は高校生活をエンジョイしたい、勉強ばかりするのはいやだと思っていたこともあり、どちらかといいますと、学校では少し浮いているような存在でした。

morich:昔から、スポーツもできて勉強できていたなら、きっとモテたと思います。今日のようなバレンタインデーには、山のようにもらっていたのではないでしょうか?

吉村:いえ、そんなことはありません。

morich:共学だったのですよね?

吉村:はい、そうです。

morich:ではその頃、将来こうなりたい、このようなことをしたいと思い描いていたことはありましたか?

吉村:世代的に、小中高の頃がちょうど高度経済成長期で、勉強して良い大学に行って、大企業に入りなさいという教育を受けていました。ですので、なんとなく会社員になると思っていました。

morich:では、例えば金融業界などを目指していたのでしょうか?

吉村:まったくそのようなイメージは持っていませんでした。高校生の時は、進学校の校風に慣れず勉強も落ちこぼれていましたが、「そうは言っても将来はサラリーマンになるだろう」くらいの感覚でした。

morich:起業についてはまったく考えていなかったのですね。

吉村:まったく考えていなかったです。

吉村社長の学生時代

morich:大学は岡山理科大学という理系の大学ですよね。それなら、大学時代はけっこう研究室にこもって過ごされたのでしょうか?

吉村:いいえ、ぜんぜんそうではありませんでした。

morich:そうなのですか? 理系の大学生のイメージはそのような感じでした。

吉村:周りの人はそうでしたが、僕はあまり学校に行っていませんでした。要領良く、あまり学校には行かずにきちんと単位を取りました。

morich:理系ですと、なかなかそうはできませんよね。研究室にこもらないといけないイメージがあります。しかし当時から「このようなことをしたい」という考えはあったのでしょうか?

吉村:高校を卒業したタイミングくらいでちょうどバブルが崩壊し、就職難などが起きました。大企業が倒産したりリストラしたりする様子を見て「大学を卒業したら会社員になろうと思っていたけど、会社員という選択肢だけで本当によいのだろうか」と、大学生になってから悩み始めました。

そこから「会社員以外の人生もありなのかもしれない」と模索し始めて、20歳くらいの時に、将来起業したいと思い始めたという感じです。

morich:そうだったのですね。しかし職人のご家庭だったのですよね。

吉村:はい、自営業です。

morich:お家が自営業だったため、サラリーマンなどはイメージがなかなかできなかったのでしょうか?

吉村:そうですね。身内に会社員がほとんどいなかったため、テレビドラマなどで見るイメージしかありませんでした。

morich:ちなみに大学時代はなにをして過ごされたのですか?

吉村:学校はそこそこに、アルバイトをしたり遊んだりしていました。

morich:高校時代に窮屈さを感じていたため、「大学デビュー」という感じだったのですか?

吉村:アルバイトと遊びメインでした。バランスとしては、9割がアルバイトと遊び、1割が学校という感じです。

morich:アルバイトはどのようなことをしていたのですか?

吉村:たくさんしました。実家は裕福でも貧乏でもない、普通の家庭だったのですが、昔から僕は自立心がすごく強くて、高校を卒業する時に、親に経済的支援はいらないと啖呵を切って家を出たのです。

morich:本当ですか?

吉村:はい。「自立したいから一人暮らしする」と家を出たのです。

morich:距離としては、家から通えなくはなかったということでしょうか?

吉村:無理ではないものの少し遠かったのです。一人暮らしするのであれば、仕送りなどはもらわず、自分ですべて費用を出して自立したいと思っていました。ですので、アルバイトをしなければ生活もできないため、掛け持ちしてけっこういろいろなアルバイトをしていました。

morich:家賃など、生活費はすべて自分で払っていたのですか?

吉村:家賃など全部です。高校を卒業してからはおそらく1円も仕送りしてもらっていません。物的支援もないと思います。

morich:本当ですか? では、学費だけはお家に出してもらって、生活は自分でということですか?

吉村:はい。学費は一部を出してもらいました。しかし、けっこう自分で出していました。

morich:本当ですか? かなり偉いですね。

福谷:すごいですよね。morichさんの家庭はどうですか?

morich:私は甘えまくりです。ですので、今、親に恩返しして親孝行しています。

吉村:頭を使わないバイトばかりですが、本当にあらゆるバイトをしました。

morich:掛け持ちですか?

吉村:掛け持ちしていましたね。

morich:例えばどんなバイトですか?

吉村:おもしろいところで言いますと、お姉さんがいる飲み屋のボーイなどですね。

morich:似合いそうです。きっとお店に吸い込まれますよね。

吉村:レジを担当するスーパーの店員もしたことがあります。

morich:私はスーパーでたまにイケメンの店員がいると、あえてそこに並んでしまいます。周りを見てみると、女性しか並んでいないのです。

福谷:今日はバレンタインだからでしょうか? morichさんのヨイショが多い気がします。

経営者への憧れと情報収集

morich:将来につなげるということではなく、とにかく収入を得るという感じだったのでしょうか?

吉村:そうですね。しかし、夜のお店で働きたかったのには、収入を得たいことのほかに目的がありました。経営者になりたかったものの、当時はインターネットもなく情報がなかったため、経営者から直接お話を聞いたほうが早いと思ったのです。

学生の自分には経営者に出会えるような場所がないため、経営者が集まっている場所はどこだろうと考えた結果、飲み屋さんにたどり着きました。そのような飲み屋で働けばお客さまと知り合えるのではないかと思ったのです。

morich:接点はありましたか?

吉村:接点がたくさんできました。

morich:いろいろなビジネスのお話などを聞いたのですか?

吉村:私はボーイでしたので、店の営業中はお話しする機会はないのです。店が終わった後にお客さまとお店の女の子が2人で行く「アフター」がありますが、それに一緒について行ってもよいかお願いしていました。すごく邪魔者だったと思います。

morich:なかなかそのようなお話は聞かないですね。

吉村:学生の頃は、そのようにして「どのようにして起業したのか」などの経営についてのお話を聞いていました。

morich:ではその頃に勉強といいますか、吸収したということですね。

吉村:そのとおりです。どうすれば経営者になれるのだろうと考えていました。

morich:漠然とそのようなものに憧れがあったのでしょうか?

吉村:ありましたね。当時の彼女の友達に、親が経営者という人がおり、相手からすると「君は誰?」というくらいの関係性の遠さですが、その人の親に会いに行ったこともあります。

morich:すごく貪欲ですね。

吉村:「どうすれば社長になれますか?」と聞きました。

morich:今でこそスタートアップや学生起業などがありますが、当時はないですよね。

吉村:当時はなかったですね。周りにいませんでした。

大学卒業後は通信エンジニアリング会社へ

morich:いわゆる起業家という人が身近にいませんでしたよね。しかし、いきなり起業するのではなくて、最初は就職したのですね?

吉村:そのとおりです。結果、就職はしました。

morich:就職活動はしたのですね。

吉村:ほとんどしませんでした。会社員になることに興味、関心、魅力がまったくなかったため、大学を卒業したらフリーターしながら起業するネタを探し、ネタが見つかり次第すぐ起業したいと考えており、あまり就活に気が乗らなかったのです。

ただ、当時はバブル崩壊した後ではあったものの、理系の学部の内定率はほぼ100パーセントで、学校や教授から「就活しろ」「どこでもよいから内定をもらえ」と言われました。

教授に「3社くらい推薦するから選びなさい」と言われ、その中から選んだ会社に入ったわけですが、その会社を選んだ理由は、当時付き合っていた彼女の家から一番近かったためでした。

morich:これはどこにも書いていなかった情報です。見つけられませんでした。

吉村:学校からすると「内定をもらえればよい」ということだったため、義理を果たすといいますか、「学校に言われたからから内定をもらえればどこでもいいや」と思って決めました。

morich:今この話を聞いている学生もいるかもしれません。

福谷:いるかもしれませんね。

吉村:ちなみに、当時の彼女は今の妻です。

morich:よかったです。書いていませんでしたので、聞いてよいのかなと思ってためらいました。

吉村:ネットにあまり書いていない情報です。

morich:一途に思って成就されたのですね。

吉村:ですので、当時はその会社がどのようなビジネスを展開している会社かもよくわからずに受けに行き、入れてもらいました。内定式が終わった後に内定をもらったのです。

ずっと就活をしていなかったため、2次募集のような感じで、追加で入れてもらったのです。内定を持っていなかったため、就職先が決まったのは年末で、4年生の12月頃だったのではないかと思います。

morich:大学院に行くという考えもなかったのですね?

吉村:はい。就活もせず、フリーターでよいと思っていました。東京に出てフリーターでもしようかと考えていたのです。

morich:その会社は広島ですか?

吉村:その会社は大阪でした。

morich:それが今のビジネスにつながったのですね。

吉村:つながったのです。

インターネット黎明期の到来

morich:そのような意味では「計画的偶発性理論」のようなところですね。偶然が今につながり、必然になったのですね。入社したのはどのようなことをしている会社ですか?

吉村:その会社は当時、電力会社や通信事業者が建てる、いろいろな設備や施設の設計、その他の技術的なサービスを提供していました。設備や施設というのは、例えば電力会社が電気を通すために山に建てる送電鉄塔や、携帯電話会社が建てる基地局・鉄塔などです。その会社で通信部門に配属されました。

morich:それはラッキーなことですね。当時はインターネットなどが一般的ではない時代ですよね?

吉村:私は1995年入社ですので、ちょうど「Windows95」が出た年が入社1年目でした。

morich:とてもラッキーですね。しかし、当時はよくわかっていなかったのですよね。

吉村:はい、よくわかっていませんでした。なにをしているのかわからず、たまたま入社した会社でしたが、入社1年目で「Windows95」が普及し始め、2年目には、入社当時は同期生誰も持っていなかった携帯電話をけっこう持つようになっていました。

morich:ちょうどそのタイミングだったのですね。

吉村:「Yahoo! JAPAN」ができたのが1996年ですので、1995年入社は本当にIT黎明期のスタートの年でした。入社1年目の時、自分の会社には興味がなく、起業のネタを外で探していたのです。

morich:すでに1年目で探していたのですね。

吉村:ネタを探すために就職したようなものでした。もともと、社会人になってから起業のネタを探そうと思っていましたので、自分の会社に興味もなく、チャンスもないと思っていました。

したがって他の業界を調べていたのですが、よく見ると、自分が今働いている通信業界はこれから伸びるのではないかと気づいたのです。そこから、通信・IT・携帯電話といったキーワードで起業しようと決めたのが入社1年目です。

morich:目の前で行っている仕事が未来につながるという感覚があったのですね。

吉村:宝物が実は目の前にあったという感じです。

morich:私は吉村社長の2歳上なのですが、私の時代の卒論はまだワープロでした。入社して、まさに2年後くらいに「Windows95」が出て、オフィスにもパソコンが置かれ始めました。

私はリクルートでソフトバンクを担当しており、孫さん自ら「Yahoo! Japan」の説明を受け、そのスターティングメンバーを紹介してほしいと言われたことがあります。ですので、とても思い出深い会社です。

あの頃は、「検索エンジン」や「インターネット」と言われてもまったくわからないような時代でした。本当にインターネットの黎明期から関わることができたのですね。

吉村:着目したという感じです。

morich:しかし、結果的にはすぐに起業するのではなく、退職後はまずフリーランスという道を選ばれたのですよね。それはなぜですか?

吉村:新入社員の給料ですととぜんぜん創業資金が貯まらないのです。給料日1週間前などは「ぜんぜんお金がない」という感じで、お米を炊いてもやしを食べて暮らしており、いつまで経っても起業するお金が貯まりませんでした。

morich:一人暮らしですしね。

吉村:それを考えると、僕は技術系のエンジニアでしたので、フリーランスになったほうがたくさん稼げると思ったのです。

morich:単価が高いですものね。

吉村:そのとおりです。それで、会社を1年半で辞めてしまいました。

morich:今でこそフリーランスはとても増えていますが、当時はいませんでした。

福谷:当時はないですよね。

吉村:「フリーランス」という言葉がありませんでした。

morich:しかも、収入が不安定になりますので、辞める選択はなかなかできないですよね。

吉村:ただし、若かったからこそ、うまくいかなくても最悪の場合はまたどこかに再就職すればよいと思っていました。そうであるなら、早く行動したほうがよいと考えたのです。

morich:資金は何年くらい貯めたのですか?

吉村:3年くらいです。

morich:起業のための資金としてですか?

吉村:そのとおりです。

morich:本当に計画的なのですね。

吉村:20歳くらいからもう起業したいと思っていましたので、計画的に進めました。

morich:その3年間でしっかりと貯め、ある程度資金を持っての起業だったのですか?

吉村:20代でしたし、若い頃の収入はたかが知れていますので、そこまででもありません。

morich:最初はどれくらいの資金でしたか?

吉村:とにかく法人を作りたかったため、300万円を準備しました。当時、有限会社は300万円の資本金が必要でした。

morich:有限会社からのスタートですね。

吉村:株式会社の1,000万円まで貯める時間をかけられなかったため、そのようにしました。

有限会社サイバーコネクション設立

morich:最初は有限会社サイバーコネクションでスタートですね。設立当初は1人ですよね?

吉村:1人です。

morich:最初の社員はどのようにして見つけたのですか?

吉村:私が法人を作る前にフリーで働いていた時の知り合いに声をかけました。

morich:今もいらっしゃいますか?

吉村:今はいません。その人間も独立して自分で会社を経営しています。

morich:最初のお取引はどのようにして見つけたのですか?

吉村:スタートは、フリーで働いていた時の人脈を使いました。

morich:ビジネスはさっきおっしゃっていた、いわゆる通信などのネットワークでしょうか?

吉村:そのとおりです。いわゆる携帯電話の通信インフラを作ったり運用したりするビジネスからスタートしました。

morich:当時、私はソフトバンクを担当していましたが、そのようなインフラのネットワークエンジニアは大変貴重でした。

吉村:確かに、あまりいなかったですね。

morich:一方で続々と基地局ができて広がっていったため、ビジネスとして通信は相当忙しかったのではないかと思います。

吉村:本当に忙しかったです。

morich:けっこう、飛ぶ鳥を落とす勢いだったのでしょうか?

吉村:創業してからですか? どうでしょうか、地元で創業して、売上1億円を超えるのに3年くらいかかりました。

morich:最初はあまり人も増やさなかったのでしょうか?

吉村:それでも社員は10人くらいいました。2年目でおそらく売上高約1億円、細かく言いますと9,800万円くらいでした。

ターニングポイント

morich:成長がグッと加速する、いわゆるターニングポイントはどのようなタイミングだったのですか?

吉村:何回かありますが、1回目は創業5年目で東京に出た頃です。広島で行っていたのと同じことを東京で進めたのですが、広島でも東京でもビジネスとして成り立つと、東京に出て1年でわかったのです。

したがって、地方でも東京でも通用するし、その地域で僕たちがそのビジネスを進めるための「勝ちパターン」がわかったのです。そうであれば、エリアを広げれば売上が伸びると考えて、事業を進めました。

東京に出る時はまだ、売上高1億8,000万円くらいだったのですが、東京に出て3年から4年くらいで10億円近くに達しました。

morich:加速度的に伸びたのですね。では、東京に本社を移し、地方に拠点を広げていくことにしたのですね。

吉村:そのとおりです。エリアを広げて売上を伸ばしたのが、僕たちの成長の第1フェーズと言えます。

morich:人材もそれに合わせて増やしていきましたか?

吉村:増えました。

組織の崩壊危機

morich:組織作りについて、なにか苦労されたことはありますか?

吉村:よい質問ですね。

morich:私は一応そのような仕事をしていますので、とても興味があるのです。だいたいみなさまご苦労されています。

吉村:まさに先ほどの、全国展開する過程の急拡大の時に、組織がおかしくなったという経験がありました。

morich:だいたい、2回、3回は崩壊の危機がありますよね。その時はなにが原因だったのですか?

吉村:いくつかあるのですが、おそらく大きくは2つです。1つは業績不振です。ちょうどリーマンショックの頃、ものすごいペースで会社が成長していたため、未来への成長投資をどんどん行っていました。

しかし、リーマンショックが起こったほか、携帯電話業界では3Gのインフラが一段落ついた時期で、キャリアの設備投資が少し止まったのです。

まだいけるだろうとアクセル踏んでいたのですが、赤字がどんどん大きくなってしまい、業績悪化でボーナスをあまり出せなくなり、社員の不満が溜まったということがありました。

もう1つは、組織急拡大の過程における採用の部分で、妥協という言葉が適切かわからないのですが、例えば会社のカルチャーに合わなさそうな人を採っていたことがありしました。

morich:数合わせに近い感じでしょうか?

吉村:そうですね。ミッション、ビジョン、バリューにマッチしていない人も採ってしまったのです。そこで組織文化が壊れてしまい、組織が崩壊しかけたことがあります。

morich:M&Aや新規事業の展開などを相当行っていたのでしょうか?

吉村:その組織崩壊が創業8年目、9年目の頃だったのですが、ピンチを乗り越えて10周年を迎えました。結果的に10周年は過去最高益だったのです。

それで、「新たな10年だ」と、11年目からさらにアクセルを踏み、新規事業をいろいろと行ったのですが、ほとんど失敗し、苦労しました。

morich:最初の組織崩壊の時は、ご自身の中で、もう少ししっかりと組織作りをしないといけないという思いがあったのですか?

吉村:組織がおかしくなり、どうやって立て直したかというお話なのですが、当時、会社の業績も急速に悪化し、資金繰りも悪化していました。

morich:そのような時は、みなさま離れていってしまいますよね。

吉村:会社の倒産の危機という状況でした。なおかつ従業員満足度も最悪で、「2ちゃんねる」が日々炎上していました。社内の人が悪口を投稿しており、悲惨な状況だったのです。

morich:けっこう殺伐としている感じですね。

吉村:本当に組織の雰囲気も悪かったです。その時に僕はなにをしたかといいますと、当時は全国に拠点がありましたので、それらを回って社員に会いに行きました。

そこで、このような状況にあるのは自分の責任だということと、このままであればこの会社が潰れる可能性があるということ、つまり船で言えば沈没する可能性があることを伝えました。

全国の拠点に「『沈没しそうだから怖い』という人は船から降りてもらってもかまわない」「私は社長、つまり船長として船を沈めるわけにはいかないため、これからはこのようなミッションや理念をベースに、このようなビジョンとV字回復のリバイバルプランを行う」「共感し、コミットしてくれる人だけ残ってくれ」と話して回ったのです。

morich:対面でですか?

吉村:そのとおりです。当時は従業員満足度も非常に低かったですし、社内の雰囲気も最悪でしたので、正直なところほとんどが辞めてしまうのではないかと思ったのです。

morich:逆に言いますと、そのような覚悟を持っていたということですね。

吉村:みんな辞めると会社は潰れてしまいますが、腹をくくったという感じです。結果として1割くらいの社員が船を降りました。

morich:9割は残ったのですね。

吉村:私の想像よりたくさん残ってくれました。そこで、社員一丸となって乗り越えたという経験があります。

会社は社員のもの

morich:残った社員は何人くらいだったのですか?

吉村:200人くらいいました。

福谷:すごいですね。

morich:昨日まで文句を言っていた人たちも、社長のお話を聞き、なにかしら感じるものがあったということでしょうか?

吉村:ネガティブに捉えていた人には辞めた人もけっこう多かったのですが、ネガティブに捉えていた人が、逆にスイッチが入り大変活躍したという事例もあります。

morich:そこで信頼関係をしっかり作れたということですよね。

吉村:そうだと思います。

morich:そのタイミングで、ミッション、ビジョン、バリュー、パーパスのようなものも、もう一度構築したのでしょうか?

吉村:もともとミッション、ビジョン、バリュー、パーパスはあったのですが、ぜんぜん浸透しておらず、そのまま組織が急拡大・膨張してしまいました。ですので、その失敗をきっかけに、理念の浸透をもう一度しっかり進めようと考えました。

また、ちょうど10周年を迎えてよい区切りでもあったため、理念を浸透させるだけでなく、すべての経営のビジョンや戦略、人事制度も、理念をベースにしたものに作り直そうとリセットすることにしました。

会社は当時未上場で、オーナーである僕がほとんど100パーセントの株を持っていました。しかし、世間では「会社は株主のもの」と言われますが、実際は「社員のもの」という考えになりました。

そうであれば、僕が作った今までの理念はいらないため、理念すらも今いる社員で作り直そうとリセットしました。二百何十人みんなで作ろうということになり、作り上げるまでにそこから結局1年かかりました。

morich:一大プロジェクトですね。

吉村:かなり衝突しましたし、「そもそも理念などはいらないのではないか」「宗教みたいでいやだ」といった意見もありました。しかし、みんなで議論して作ったため、浸透が早かったです。

morich:きっと、自分たちの思いや意見もしっかり吸い上げてもらえたという実感ですよね。

吉村:「自分たちが作った理念だ」と、自分ごと化されたのです。

morich:理念はみんなで作り上げるプロセスこそが大事だという好事例ですね。

新規事業と本業回帰

morich:そのようにして創業10年を迎え、もう一度加速しいろいろと手を出されたものの、新規事業やM&Aはなかなか難しい状況でしたか?

吉村:1勝9敗くらいではないでしょうか?

morich:M&Aは難しいと言いますが、今残っているものはあまりないですか?

吉村:いろいろな新しい事業を行ったり、新しい会社を作ったりして、残っているのもありますが、ほとんどなくなりました。

morich:結局、本業回帰みたいなかたちでしょうか?

吉村:そうですね。新しいビジネスの中でも本業の延長線上に近いものは、残ってうまくいきました。飛び地のビジネスは成功確率が低いことを、痛い目にあって覚えました。

morich:やはり大事なのは私の中で「人」だと思うのです。魂を込めて本当にできるかということです。その頃から、上場なども少し意識されたのですか?

吉村:そもそも東京に出てきて急成長した時に、金融機関の方から「上場できるのではないか」と言われて意識したのですが、すぐにリーマンショックが起き、いったん幕を降ろしました。

10周年を迎えて次のフェーズで新規事業を次々と進めている時も、本業は伸びていたため「これならいけるのではないか」と、上場に向けて2度目の挑戦をしようということになりました。

しかし、本業は好調なものの、その他の事業がズタボロな状態で、上場どころではないというお話になり、2度目の挑戦も幕を降ろしました。

morich:当時、赤字もあったのでしょうか? 利益はしっかりと出ていたのですか?

吉村:本業の稼ぎを新規事業がすべて食っていました。

morich:社長、けっこうアドベンチャーなタイプですか?

吉村:当時はそうでした。

morich:このあたりはやはり、その方のキャラクターや価値観が出ますね。新規事業やM&Aなどは、吉村社長の中でどのような位置づけだったのですか?

吉村:当時は「上場したい」という思いが強く、上場するのであれば急成長しなくてはならないという思い込みがありました。そのためには、既存事業だけでは難しいだろうと思ったのです。とにかく、買収したり新規事業を作ったりして、ガンガン伸ばそうとしていました。

morich:アドオンしていこうと思っていたのですね。

吉村:はい。そこを意識しすぎてしまいました。数字を取ることが目的化されて手段はなんでもよいというような感じになってしまっていました。今思うと、とても未熟だったと思います。

morich:そのような時代があったとは本当に思えません。

吉村:でも、若かったのか、本当にそうだったのです。

morich:確かに、会社を買えばその売上がアドオンされると錯覚しがちですものね。難しかったのは、シナジーを生み出すことや、もともといた人たちが辞めてしまうことといったあたりでしょうか?

吉村:事業を買うというM&Aを1回行ったのですが、PMIの部分がやはり難しく、人が定着してくれなかったという失敗はあります。

morich:そのような新規事業への取り組みは、今も継続されているのですか?

吉村:続けています。ただし、飛び地のビジネスはあまりしないほうがよいと思っており、自分たちの今の強みやリソースを活かせるようなところで、新しいことを進めています。

上場へのチャレンジ

morich:上場への3度目の挑戦について、ご苦労はありましたか?

吉村:3度目はそこまで苦労はなかったです。満を持してといいますか、いろいろな失敗経験がありましたので「絶対上場できるだろう」というくらい仕込みました。

morich:2020年に上場ですか?

吉村:上場は2021年6月です。

morich:ということは、コロナ禍の最中だったのですね。

吉村:そうです。コロナ禍でした。

morich:コロナ禍は、上場を見送ろうなどと、みなさまいろいろと画策されたと思います。そのあたりはどのように思われていたのですか?

吉村:僕たちが扱うのは通信やインフラですので、あまり景気の波は関係がなく、どちらかといいますと、むしろオンラインになった影響でみんな通信を使うため、通信業の外部環境はあまり悪くありませんでした。

マーケットの状況も、2021年はまだマザーズやグロースの株価が良く、2022年になってから一気に落ちだしたため、僕たちはとてもタイミングが良かったです。

morich:上場前後でなにか変わったことはありますか?

吉村:上場後は、僕個人としても会社としても、信用度が一気に上がるため、出会える人が変わりました。また、会社として営業がしやすくなったり、M&Aも「提携しませんか」といったお話が来やすくなったりして、事業においてプラスに働いたと思います。

morich:「上場会社の社長」という肩書きがつきますが、吉村社長自身のメンタリティとしてなにか変わったことはありますか?

吉村:「パブリック(・エクイティ)になるため、責任が増してプレッシャーがかかるのではないですか?」などとよく聞かれるのですが、正直なところ、あまり感じていません。

morich:そうなのですね。鐘は鳴らせましたか?

吉村:はい、鳴らしました。

morich:タイミングがよかったのですね。

吉村:鐘は鳴らしたのですが、東証に入れる人数が5人だったのです。

morich:なるほど、ではセレモニーはできず、入る人はジャンケンで決めたのですね。3回目ですし、そこまで身構えることはなかったのでしょうか?

吉村:そうですね。周りの友達が経営する会社は上場していましたし、3回目のチャレンジだったため、上場についてより深く理解していました。

パブリックになる覚悟はすでにできていたため、上場したことでつらいことはなく、逆にプラスしかないといいますか、個人でも法人としてもマイナスはまったくないと思っています。

事業を通じた地域への貢献

morich:「故郷に錦を飾る」といったことはあるのですか?

吉村:めちゃくちゃ飾っています。

morich: 広島出身で、あちらに拠点もあるのですよね?

吉村:あります。

morich:発祥の地でもあります。広島には大企業も何社かありますが、新興で上場した会社は少ないのですよね。

吉村:そうなのです。僕は、「故郷に錦」という意味もあるのですが、ベイシスという会社とは別に、個人的なボランティア活動として広島近辺の起業支援をしています。

なぜそれをしようと思ったかといいますと、僕は広島で創業して東京に進出し上場したため、広島との縁が薄くなっていたのですが、僕自身は40代になったのにもかかわらず、自分の事業を通じた社会貢献以外はなにもできていないと感じ、個人的に地域の役に立てないかと思ったためです。

morich:わかります。

吉村:地元に戻ることが増えた中で、上場した自分になにかできることはないかと考えました。おそらくなのですが、21世紀以降に広島で創業して上場した会社は、たぶん弊社しかないのです。

morich:衝撃ですね。私も山口や岡山の方とはけっこうご縁があり、起業家の方にたまに会うのですが、本当に仲間が少ないと言っていました。

吉村:僕は、これをいかがなものだろうと思っています。要は、地域に新しい会社があまり生まれていない、生まれても小さいのです。

昔からの大企業に依存してしまっており、このままだと地域がさらに衰退していくと思っています。若い人が東京に出るのは、地域に魅力的な会社がないことも1つの理由だと思います。

morich:確かに、広島県、岡山県、山口県は大学生の約8割が県外に出てしまうのですよ。

吉村:しかも最近のデータですと、県外への人口流出ワースト1は3年連続で広島なのです。

morich:本当ですか? 私はけっこう好きなエリアです。

吉村:重大な問題だと思っています。魅力的な会社が地域に増えれば若者も定着するだろうと考え、僕はボランティアで起業支援の活動をしています。

morich:具体的にはどのようなことをされているのですか?

吉村:一般社団法人を作り、広島県知事、県庁などの自治体、銀行、新聞社、テレビ局、大学の方々に入ってもらってバックアップしてもらいながら、地域一体で進めようと、僕が旗振り役となってスタートしました。

morich:今は頻繁に帰っているのですか?

吉村:完全にボランティアですが、最低でも月1回は帰っています。

morich:アクセラレータープログラムのようなものもされているのでしょうか?

吉村:それも行っていますし、毎月いろいろなイベントを開催しています。地域の人に上場起業家らを身近な存在だと感じてもらえるような場を作り、学生の支援も行っています。

morich:少し変わった感じはありますか?

吉村:まだこれからだと思います。火は灯ったと思うのですが、その火がどれだけ大きくなるかというところです。

morich:枠組みがあるとぜんぜん違いますよね。

吉村:点火する人がいないのです。地域の課題はみんなわかっているのですが、「俺がどうにかする」という人が出てこないため、僕が手を挙げました。

morich:私の友人にも広島出身の人が多いのです。東京に出てきている人たちの中で、もう一度地元に戻って貢献したいという方もいると思います。

私は滋賀県出身ですが、滋賀県出身の経営者の会を開催しており、こちらは非常に盛り上がっています。滋賀に貢献しようという思いで拠点を作りました。このような手もあるかもしれません。

吉村社長の行っていることは、社会貢献のロールモデルですね。

吉村:この取り組みが大きくなればよいです。

morich:自治体を巻き込んで取り組むのはご苦労があると思います。

ビジネスの状況について

morich:時間も迫ってきていますので、ビジネスについても少しうかがいたいと思います。5Gなど通信環境もどんどん変わっていく中で、ビジネスとして「まだいける」というイメージがありますか?

吉村:今日決算発表をしたのですが、足元の状況では、逆風のビジネスと追い風のビジネスが混ざった状態です。進行期については、昨年に比べて少し停滞しています。ただし、僕たちとしては今後伸びる確信を持っており、今は踊り場のような状況だと思っています。

向かい風と追い風はそれぞれなにかといいますと、向かい風はモバイルです。実際、各キャリアの5G投資は一段落ついた、というより、「つけた」という状況です。

morich:「つけた」なのですか?

吉村:はい、一段落ついてはいないと思います。と言いますのも、田舎で5Gが入りますか?

morich:入らないですよね。本当に投資しているのだろうかと疑問に思っていました。

吉村:今はキャリアが控え気味なのです。本来はもっと進めなければいけないのですが、やはり携帯電話の通信料収入が下がっていますので、事業を細く長く展開するためにインフラ投資額を下げる必要があり、まだ投資すべき部分はあるもののペースが落ちています。それもあって、僕たちはモバイルが今逆風になっています。

一方で、僕たちはIoTと言われる領域のビジネスが非常に伸長しており、こちらは追い風です。世の中に広がるDXの文脈でさまざまな業界がITを導入し、生産性を上げていろいろなことを進めようとしています。昨今、非常に注目されているAIについても、そのAIに読み込ませるデータを取得するために、IoTを活用します。

IoTのインフラに関するビジネスは非常に伸びていますので、モバイルの減少分をそこでカバーしています。モバイルは回復しつつ、IoTも伸びるため、2年、3年という中期経営計画のプランでは業績を伸ばせると考えています。ちょうど変わるタイミングが今年あたりだと見ています。

morich:IoTについて、具体的に注力されている領域はどのあたりでしょうか?

吉村:さまざまな領域があり、みなさまはIoTと言われてもぱっと思い浮かばないと思います。要は、さまざまなデバイスに通信機能がつくというお話なのですが、弊社で実績が一番多いのは、家庭に付いている電力会社やガス会社のメーターです。

morich:付いていますね。調べに来ますよね。

吉村:今は検針員の人が来ないのですよ。

morich:そうなのですか? 勝手に来ているのだと思っていました。確かに、昔は開けていたため、メーターを確認する人を見かけていましたが、今はそもそも入れない家もありますよね。

吉村:それを、僕たちがスマートメーターというインフラに変えたのです。無線通信でつながっていますので、遠隔で見られます。まさにこれがIoT、通信機能で遠隔制御できるという「メーターのIoT化」です。

弊社の、電力やガスといった分野が非常に伸びているというのはこのような部分です。水道にもメーターがありますので、今後はあらゆるメーターをスマート化、通信機能がつくかたちにしていきます。

メーター分野は地味なのですが、世の中にはメーターがたくさんありますので、それらをスマートメーター化することを進めます。

また、スマート化したメーターも結局は設備ですので、異常が起きたり、メンテナンスが必要だったりするのですが、そのようなことも僕たちがフォローします。

さらに、最近多いのが通信機能のついたカメラです。今はさまざまなところにカメラを使っています。防犯目的ではなく、例えば店舗内の映像を撮って、お客さまの動線データを取り、マーケティングで使うなど、映像の利活用は増えています。

morich:ありとあらゆるところで活用されていると言われますよね。

吉村:そのようなカメラも、リアルタイムにデータを取るためには通信につなぎますので、僕たちの関わる領域です。また、オフィスのスマートロックなども通信でつながっています。いろいろなデバイスに通信機能がつけられるため、そのような領域には僕たちがほぼ関わっています。

morich:「無限」という感じですよね。

吉村:ですので、今、非常に増えています。

morich:この領域に行こうといったアイデアは、社員が提案してくるのですか?

吉村:そうですね。特に営業部門が中心になって進めていくのですが、お客さまから僕たちに問い合わせが来たり、紹介いただいたりすることもあります。

ベイシスの強み

morich:ベイシスさんは、一言で言うと何が強いのですか? 技術力でしょうか?

吉村:僕たちのビジネスは通信機器やデバイスが絡むため、インターネット空間上で終わらない、リアルな物理的なビジネスですが、僕たちには北海道から九州・沖縄まで日本全国、通信機器のデバイスをつけたりメンテナンスしたりする職人さんのネットワークがあります。

morich:「壊れた」と言われた時に全国に行けるのですね。

吉村:そのとおりです。また、それを低価格でできる仕組みがあります。

僕たちの業界は、建設業界と一緒で多重下請け構造です。実際に現地に行く人は三次下請け、四次下請けが一般的なのですが、弊社の場合は中間マージンを抜く会社をすべて省いています。

morich:直接取引しているのですね。

吉村:直接です。町の工務店のような、社員5人の小さな会社のネットワークがあります。今、全国で450社くらいです。

morich:それは最強です。

吉村:中間の会社が行っていた管理業務をAIを使ってITで自動化しています。したがって、低コストでできるのです。

morich:ローコストオペレーションのインフラ環境があるのですね。

吉村:低コストで日本全国に大量のインフラを作れることが僕たちの強みであり、競合はいないと思っています。

morich:ある種アナログでオペレーティブな部分ですので、効率的に行うのは難しいところです。

吉村:そのとおりです。人を使う泥臭いところとAIやITを使って自動化するところのハイブリッドができる会社はないのですよね。

morich:おもしろいですね。私はAIも好きなのですが、やはりリアルな職人さんたちを差別化するという組み合わせは最強です。

吉村:リアルな工事屋はITが弱く、ITの会社はリアルができません。僕たちは「リアル×IT」を両方できることが強みです。

morich:それは、ご両親がされていたような職人の方々に、生産性の高い仕事をしっかり提供していくということですか?

吉村:そのとおりです。現場に行く職人さんの作業効率も上がっていますし、少人数で管理できますので、低コストオペレーションができるのです。

morich:その上、絶対に必要ですね。原体験につながるものを感じます。

今後のビジョン

morich:吉村社長の、プライベートとビジネスのこの先のビジョンもおうかがいしたいと思います。

吉村:特にIoTの分野において、フィールドで働くリアルな職人さんの世界とITを使ったモデルを「BPaaS」と呼んでいます。僕たちは機器設置や運用監視のアウトソーシングをしていますが、それと僕たちがもともと持っているSaaSのシステムを組み合わせて「BPaaS」です。

このモデルで日本中のIoT、通信機能のついたデバイスの設置から監視、メンテナンスなど、フィールドはすべてベイシスが担っているという世界観を目指しています。

「インフラを支えているのがベイシス」「ベイシスなくしてIoTは維持できない」という状況を、まずは日本で作りたいと思っています。

morich:設計だけではなく、設置・メンテナンスまでですね。

吉村:日本国内において、このモデルで僕たちが圧倒的にNo.1になれるのであれば、海外の物理的なビジネスを行っている会社と僕たちのSaaSのITシステムを組み合わせることで、海外展開で成功する可能性がありますよね。

morich:できますね。

吉村:そうすると「世界のIoTを支えているのはベイシスだ」という状況が見えてきます。

morich:非常に壮大ですね。

吉村:こうなれればすごいですよね。

morich:IoTはこれから絶対に欠かせませんものね。

吉村:そこのインフラを支えているのはベイシスだという世界観を作りたいです。

morich:職人ネットワークがあり、ローコストオペレーションができるからこそですね。

吉村:ハードウェアがある限り、絶対に人手が必要です。

morich:壊れたりなんだりしますものね。プライベートのほうは、いかがでしょうか?

吉村:プライベートについては、僕は子どもが3人いますが、結婚が早かったためすでに全員成人しています。学生ではあるのですがもうすぐ卒業ですし、家も出ています。夫婦2人生活で、子どもも手を離れているためのんびりしています。夢としては多拠点生活がしたいのです。

morich:よいですね。

吉村:今は東京がメインですが、広島の瀬戸内海の島などでワーケーションしたり、海外も合わせて3拠点生活したりできればよいと話しています。

morich:仲良しですね。大学の客員教授などもされていますが、教育にも興味があるのでしょうか?

吉村:そうですね。先ほどお話しした地域の活動もそうですが、やはり社会の役に立つ起業家教育は大きいと思っています。現役を引退してからかもしれませんが、将来的になにかできればと思っています。

morich:まだお若いですしね。

福谷:がんばっていただかないといけません。

morich:今日お話をうかがって、ビジネスの作り方など学ぶことが多いと思っています。ぜひ起業家の方と接点を持っていただきたいです。EO(Entrepreneurs' Organization、起業家機構)にも入っていらっしゃいますよね。

福谷:スタートアップの企業も続々と増えていますし、そのような方々がどのように学ぶのか、どのようにチャレンジしていくのか、踏み切れる場所のようなものを作っていただきたいです。

morich:私は年間300社くらいの会社のピッチを受けたり、いろいろなお話をうかがったりしますが、非常にビジネスの筋が良いと思います。

福谷:きちんと整っているといいますか、計画があり、ビジョンもすばらしいです。

morich:絶対にこの分野はなくならないですものね。

福谷:ここでお時間が来てしまいました。あっという間の1時間でしたね。「morichの部屋」第6弾は、ベイシスの吉村社長にお越しいただきました。

今後もより良いご縁をおつなぎしたいですし、我々もいろいろと学ばせていただきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。本日はありがとうございました。

morich:ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

配信元: ログミーファイナンス
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