雇用統計はブレやすい
今日のレポートの主旨は、7日に発表される米国の雇用統計にベット(賭け)しようというものだ。寒波の影響で悪い数字になりそうだから、空売りを勧めると思われただろうか?逆である。良い結果になることに賭けて、そうなった場合に値上がりが期待される米国株、ドル、日本株などをロング(買い持ち)しようという提案である。レバレッジの効くコール・オプションなどデリバティブが使えるなら、なお望ましい。
そう言うからには、7日に発表される雇用統計が良好な結果になると予想しているのか?と聞かれたら、「No」と答える。では、悪い数字になると予想しているのかと聞かれれば、その答えも「No」である。どっちなんだ?と聞かれたら、「わからない」と答える。僕はエコノミストでもないし、「予想屋」でもない、(2012年6月14日付レポート「『ギリシャ選挙とユーロ相場』を『キュレーション』」ご参照)。そもそも、エコノミストであってもわからないだろう(「米国マーケットの最前線~いつも以上に予測困難な2つの理由~」参照)。予想したところで、どうせ外れるのだから。
なぜか?市場で注目される非農業部門雇用者数の前月からの変化というのは、所詮、誤差の範囲だからである。そもそも非農業部門雇用者数というのは1億3687万人(2012年12月)という規模の数字である。前月比18万人の増加というのは全体の率に直せば0.13%に過ぎない。図示するとこんな感じである(グラフ1、2)。
前月比18万人の増加が市場のコンセンサスだったとする。そこに、「20万人の増加」という数字が出てきたとする。市場は「ポジティブ・サプライズ」となってドルは買われ株価は急騰する。反対に、「15万人増」という市場予想に届かない数字となれば、市場は失望売りで急落…こんな場面は過去何回も繰り返されてきた。
全体からすれば0.1%(18万人)レベルの予想に過ぎないのに、それがやれ予想より2万人多かったから「ポジティブ・サプライズ」だの、5万人少なかったから「失望」だの言って騒ぐのは、0.01%の誤差で大騒ぎしているようなものである(2万人÷1億3687万人)。
非農業部門雇用者数の前月からの変化というのは、そもそもブレやすい統計なのである。米国の労働統計局自身がそれを認めている。労働統計局のHPには、「90%水準の信頼区間はプラス/マイナス9万人である」と記載されている。簡単に言えば「許容される誤差の範囲」は9万人ということだ。例えば、18万人が予想されているときに、実際に出てきた数字が9万でも27万人でも普通にあり得ることだから、驚くには値しないという意味である。
ギャンブルではない
上振れも下振れもどちらもあり得るし、どちらに転ぶかもわからない。では、そんな「わからないもの」に賭けろというのか、とお怒りのかたもおられるかもしれない。それでは、まるでギャンブルではないか!と。
僕は、投資とトレーディング、投資と投機、投機とギャンブル、それらに明確な線引きをすることはできないと思っている。それぞれ重なり合う領域が多分にあるからだ。ここで、以前にも紹介した日本人で初めてプロ・ポーカーの世界チャンピオンになった木原直哉さんのギャンブルの定義を引用しよう。木原さんによるギャンブルの定義は、
「期待値がマイナスなことにお金を賭けること」
だという。
<多くのプロにとってポーカーがなぜギャンブルでないのか。それを一言で説明するとすれば、「期待値に従ってプレーしているから」ということになります。 プロは、基本的に勝てそうにない勝負はしません。リスクが大きすぎる割に、期待できるリターンが少なければ長期的には必ず損をするからです。一方でリスクの割に期待できるリターンが大きいと判断すれば、決して躊躇はしません>(木原直哉著「東大卒ポーカー王者が教える勝つための確率思考」)
木原さんはじゃんけんゲームの例を引き、期待値というものを説明している。お祭りの露店で「じゃんけん」と書かれた看板を見つける。じゃんけんをして店主に勝てば、1000円もらえる。負ければ賭け金は没収。さて賭け金がいくらなら、このゲームに参加するべきか?答えは簡単、500円以上、例えば600円なら絶対にやるべきではないし、その反対に500円未満、例えば400円なら喜んでやるべきである。
じゃんけんで相手に勝つ確率は1/2、負ける確率も1/2である(「あいこ」の場合は勝負がつくまでやり直す)。2回に1回は勝って1000円をもらい、2回に1回は負けて賭け金を失う(リターンはゼロ)。このゲームの期待値は
1000円×50% + 0円×50% = 500円
である。5回連続で負けることもあれば、7回連続で勝つことだってあるだろう(著書の中にはAKBじゃんけん大会で松井珠理奈―大ファンである♡ ― が7連勝した話も出てくる)。但し、100回もやれば勝敗は必ず50:50(フィフティ・フィフティ)に収束するのだ。結局のところ、このゲームで得られる1回あたりの賞金は500円になるだろう、というか、なるに決まっているので、賭け金がそれを上回るならやるべきではないし、下回るなら是が非でもやるべきということになる。
じゃんけんゲームはもっとも単純なケースなので理解しやすいが、ポーカーとなるとやや複雑になる。それでも、基本は同じ、確率による期待値が鍵である。ところがこれを実生活、実社会で起きる事象に応用するとなると、複雑さの度合が増すので大変である。まず、第一に確率を見積もることが非常に困難である。
雇用統計の期待値
さて、雇用統計はどうなるだろう。市場では寒波の影響が懸念されている。事実、今週初めに発表されたISM製造業景況感指数は寒波の影響などもあって市場の予想を大幅に下回る悪化を見せた。その記憶が生々しいだけに、今回も警戒する声が多い。
ざっくりとした仮定を置こう。非農業部門雇用者数(以下、「NFP」:nonfarm payroll、ノンファーム・ペイロールの略)が市場の予想を下回る確率は半分よりも多い60%では、どうだろう。そして「ほぼ予想通り」となる確率は1/3程度の30%。市場の予想を上回る確率は、わずか10%と置く。これなら、かなり慎重な仮定だろう。
さて、それぞれの場合のリターンはどうか?ここがじゃんけんゲームと違うところだ。それぞれのシナリオごとに発生するリターンが違うのである。NFPが市場の予想を下回った場合、株式市場はどのように反応するだろう。もうそれほど下げないのではないか?ISM製造業景況感指数のネガティブ・サプライズでダウ平均は300ドルも下げた。ある意味、それで「予行演習」はできている。市場では寒波の影響がさんざん喧伝され、実際に悪い経済指標で株式市場は暴落した。すなわち悪い結果への備えはできている。ダウンサイドは限定的ではないか。思いっきり腰が引けた状態で尻餅をついてもたいした怪我にはなるまい。この場合の期待リターンはダウ平均でせいぜい50ドルも下げればいいところではないか。期待リターンは50ドル÷15440ドル=▲0.3%といったところか。
それに反して上振れた場合、期待もしてなかったのだから大きな上昇になるだろう。ISM製造業景況感指数で下げた300ドルを取り戻すこともあり得るだろう。このポジティブ・サプライズ・シナリオの期待リターンは2%としよう。
問題は「ほぼ市場の予想通り」となる場合。18万人程度の増加である。そうなれば市場にとっては大ハッピーではないか。なぜなら、前回の7万人というのは寒波の影響による一時的な落ち込みで異常値として無視しえるもの、と結論付けることができるからだ。そして、これまで通り、米国経済の回復基調は崩れていないということが確認できるからだ。年初から軟調地合いが続いてきた米国株式市場は、新興国不安などを経て、現在は米国景気の先行き不透明感が弱気材料となっている。その不安を打ち消すことができるのだ。FRBによるテーパリング継続に正当性を与えるものとなり、ドルや長期金利も上昇するだろう。ダウ平均は100ドル程度は上げるだろう。期待リターンはプラス0.6%としよう。
じゃんけんでは「あいこ」は中立だが、今回の雇用統計では「あいこ」は勝ちなのだ。これもまた今回の賭けの有利な点である。
さて、雇用統計の期待値はこうなる(表1)。正解にいうと「雇用統計というイベントに賭ける期待値」だ。NFPが市場の予想を下回る確率が圧倒的に高いと仮定しても、シナリオ毎に起きる予想リターンを掛け合わせた期待値はプラスである。であるならば、このリスクをとる価値があると思う。
試行回数の少ない事象は幸運・不運に依存する
試行回数の少ない事象は幸運・不運に依存する ― これは、前述の木原直哉著「東大卒ポーカー王者が教える勝つための確率思考」第5チャプターのタイトルそのままである。さっき述べたじゃんけんゲームで、出だしからいきなり5連敗することもあり得るという話である。確率がはっきりしているものは、試行回数を増やせば必ず期待値に収束する。ところが、実際の生活 ― 我々の人生においては、なかなか、そうはいかない。ひとつには確率が定かでない事象が多いということ。そして、もうひとつは試行回数を簡単に増やせないからである。
露店のじゃんけんゲームは、軍資金さえ尽きなければ試行回数を増やすことは簡単である。それでも軍資金という制約がある。期待値が500円、賭け金400円なら是が非でもやるべきと述べたが、軍資金を2000円しか持っていない場合、出だしで5回連続で負ければ飛んでしまってゲームオーバーである。
われわれの実際の人生においては、資金的な制約はもちろん、試行回数の制約がある。仮にシナリオ毎に正しい確率と正しい予想リターンが与えられ期待値が分かったとしても、それが確率通りの期待値に収束するまでに時間という制約があるのが現実である。木原さんは「人生は収束しないギャンブルである」と言っている。けだし名言である。
では、どうするか。対処はふたつ、である。ひとつは、できるだけ試行回数を増やすのである。できるだけトライするのである。但し、期待値がプラスのときだけ、つまり勝てる目算が高いときだけだ。そういう機会が巡ってこない(ポーカーや麻雀風にいえば「良手が入ってこない」)時は「降りる」のである。実際にプロのポーカー・プレーヤーは「手」の8割は降りているとのことだ。一方、数少ないチャンスが来たら、ベットしてみよう。
もちろん、その1回の賭けがうまくいくかどうかは、わからない。裏目に出て負けることもあるだろう。それは運である。それが冒頭の「試行回数の少ない事象は幸運・不運に依存する」という意味である。このメッセージは、それは運・不運の問題だから淡々と受け止めるべきだということだ。確率的に正しい判断をして確率的に正しいベットをしたならば、1回1回の結果にこだわるべきではない。仮に、5回連続で負けが続いたとしても、そういうこともあるさ、と割り切るべきだ。「割り切ること」 ― それが対処の二つ目である。
合理的な判断によるベットを増やす―それは資産運用においても、投資においても、トレーディングにおいても、投機においても、すべて当てはまる王道なのだから。
資産運用においても、と述べた。伝統的な資産運用ビジネスであるアクティブ運用では、ベンチマークを上回るリターン(アルファ、もしくはアクティブ・リターン)を追求する。そして、そのアクティブ運用のマネージャーのパフォーマンス(能力)は、ベンチマーク対比でのアクティブ・リターンとアクティブ・リスクの比、すなわち情報比(I R:Information Ratio)で測られる。 リチャード・C. グリノルドとロナルド・N. カーンは、アクティブ・マネージャーの運用能力を以下の式で示した。
IR=IC×√N
ここで、I C(Information Coefficient)は「実現した(ex postの)」アクティブ・リターンと「事前に予測していた(ex anteの)」アクティブ・リターン)の相関であり、Nは独立なアルファの予測回数、すなわち延べ銘柄数である。つまり、I Rは(事前の予測が事後的にどの程度実現したのかという)アルファの精度と、銘柄数の平方根に比例して上昇する。
まあ、簡単にいうと、大きくどーんと張るのではなく、「小さな賭け」の回数を増やすことでアクティブ運用のパフォーマンスは高まるというのである。これがエンハンスト・インデックス戦略の理論的支柱である。
言いたいことは、アカデミックなベンチマーク・ベースの資産運用の世界も、イベントに賭けるトレーディングの世界も、基本は同じ。「かたい賭け」の回数を増やす。それに尽きるのである。
Life is short. 人生は短い。More investments, more trades, more bets!
(本レポートは2月6日(木)に執筆いたしました。)