米国実質金利上昇は、株高・ドル高要因だ

著者:武者 陵司
投稿:2024/09/18 11:40

―利下げ期待は行き過ぎ(too much)―

高実質金利時代に戻る

 米国経済の物差し、金利水準が大きく変転し、市場参加者を惑わし続けている。これまでの経済常識に反して、1年半で5.25%という極端な利上げも、過去50年で最大・最長期にわたる逆イールド(長短金利逆転)も、景気後退を引き起こしていない。

 加えて、この間インフレが大きく鎮静化してきた。その結果、実質金利は著しく高くなっている。この高実質金利を放置すれば深刻な景気減速、あるいは金融危機を引き起こしかねない。米国の大幅な利下げは必至であり、それは円高をもたらすので、日本株式にはより深刻な打撃を与えるとの懸念が、日本株売りを正当化している。

大幅利下げを先取りする市場金利

 そうした見込みの下で、米国の市場金利は利下げを先取りして大きく低下している。9月13日現在、FF金利12カ月先物は2.92%、2年債利回りは3.57%、10年国債利回り3.66%となっている。1年間で、今の5.5%から3%へと250bpもの利下げが織り込まれているのである。このような急激な利下げはITバブル崩壊時(2000年12月の6.5%から2001年12月の1.75%へ)、リーマン・ショック時(2007年8月の5.25%から2008年12月の0.25%へ)という金融危機に準ずるものである。

 この急激な利下げに見合う経済的現実とは、深刻な景気後退としか考えられないが、依然としてエコノミストの間では米国経済ソフトランディング派が大勢である。とすれば、市場参加者の経済見通しと金利見通しとの間に大きな乖離が存在しているということになる。エコノミストが景気見通しを過度に楽観視しているのだろうか。または市場が過度に利下げ見通しを高めているのだろうか。

 武者リサーチは市場の利下げ期待が行き過ぎている可能性が高い、と考える。鍵は現在到達した実質金利の高さを危険なものと見るのか、否かにかかっている。リーマン・ショック以降188カ月の平均を見ると、名目FFレートは1.23%、コアCPI2.48%、実質FFレートは-1.25%、となっている。この実質FFレート-1.25%を中立金利と考えれば、現状は著しく金融引き締め的であり、早急な利下げが必須との結論になる。

中立金利上昇を見込み始めたFRB、だがまだ不十分

 そうした見方が正しいのかどうかだが、米連邦準備制度理事会(FRB)は中立金利が上昇しており、そこまでの利下げは必要ない、との見方を強めているようである。

 四半期ごとに公表されているFOMCメンバーのSEP(Summary of Economic Projections)によると、FFレートの長期収束値(terminal rate)は2023年12月2.5%、2024年3月2.6%、2024年6月2.8%と段階的に引き上げられている。この間インフレ予想は2.0%で変わっていないので、実質FFレートの長期収束値は0.5%から0.8%へと引き上げられたことになる。この長期収束値の引き上げはこれからも続きそうであり、仮にこの実質FF金利の長期収束値が1.3%まで引き上げられるとすれは、現在の実質FFレートが2.3%なのであるから、利下げは100bpで十分ということになる。

リーマン・ショック以降、なぜ中立金利が低下したのか

 中立金利の目安となる実質FFレートの長期収束値はいまどのレベルなのか。1990年以降の実質FFレートを振り返ると、2008年のリーマン・ショックを境に、大きくレベルが変わっていることが分かる。1990年から2008年までの228カ月の平均実質FFレートは1.5%であった。しかし、2009年以降2024年8月までの188カ月の平均は-1.25%と大きく低下して推移してきた。リーマン・ショックを境に、中立金利のレベルが劇的に変化したのである。そして、いま再び実質FFレートが大きくプラスになっている。

 この実質FFレートの推移は、NY連銀が試算する自然利子率の動きとも符合する。1960年以降の潜在成長率と自然利子率の推移をたどると、それまで完全に一致していた潜在成長率と自然利子率が、2009年以降大きく乖離し、自然利子率が潜在成長率(≒完全雇用成長率)を大きく下回り続けたことが分かる。

 つまり、完全雇用を実現するためには大幅な金利水準の引き下げが必要という時代が、10年以上にわたって続いたのである。なぜ、自然利子率(≒実質中立金利)が低下したのだろうか。

 多くの要因が指摘されているが、武者リサーチは以下の3要因が重要と考える。①人々が過度に悲観的になり、リスクテイクに後ろ向きになった、②先行き不透明感が強まり、高いリスクプレミアム(タームプレミアム)が求められた、③企業・家計ともに借金需要が低下し、金利感応度が下がった(企業は自己金融力の高まりにより、家計はリーマン・ショックの後遺症で借金に後ろ向きになったことにより)、である。(注)自然利子率の低下の要として上記3点に加えて、世界的過剰貯蓄による世界的実質金利低下、高齢化・生産性低下等による総需要低下、なども指摘されている。

 この環境の下でQE(量的金融緩和)が打ち出され、資産価格が押し上げられ、金利以外のチャンネルによる需要喚起策が導入されたのである。

中立金利は劇的上昇場面に入った

 しかし、リーマン・ショック後の低金利環境が大きく変わっていることは、いまや明らかである。まずネット・スマホの普及に続いてAI(人工知能)革命が進行し、さらにコロナパンデミックを大過なく乗り切り、その後のインフレも着実に沈静化して、人々の楽観度は強まっている。

 楽観度の高まりは、第一に大幅な利上げにもかかわらず、AI関連投資など設備投資意欲が旺盛であること、第二に株式投資意欲が高まり、株式リスクプレミアムが急低下したこと(=バリュエーションが大きく高まった)こと、第三に2017年のトランプ減税、コロナ対策のAmerican Rescue Plan Act(1.9兆ドル、2021年)、CHIPS法、IRA(インフレ抑制法)による産業政策などにより、財政支出が恒常的に対GDP比5%を超え、財政赤字を所与とする経済が定着したことなど、構造的とも思える環境変化によって支えられている。

 このように米国の自然利子率(=実質の中立金利)は大きく上昇していると見るならば、FRBの利下げは限定的となり、金利は長期にわたり高止まりする可能性が高い。ここからの円高の余地は小さいと考えられる。1995年7月のテキーラ危機後の利下げは株高とタームプレミアム縮小という好投資環境を現出したが、現在と類似している。

高実質金利の原因がファンダメンタルズの好調さだとすれば、それは株高・ドル高要因だ

 米国経済のソフトランディングを疑うべき事情は何も起きていない。まず2%インフレに向けての足取りは確か。また、8月の失業率4.2%は依然完全雇用に近く、基本的に堅調との見方は覆らない。

 何かの理由により投資家や消費者、雇用主などの経済主体の心理が急悪化しない限りリセッションは考えにくい。心理悪化要因としては、株安および日本の利上げが引き起こす金融不安(ブラックマンデー型)の二つが市場で想定されたが、どちらも深刻なものではなかった。アトランタ連銀による3QGDPナウは2.5%と堅調である。注視されるクレジット・リスクプレミアムは8月初めに上昇したものの、その水準は過去の危機時と比べて低く、金融市場のストレスは全く高まっていない。

 株式市場のVIX(ボラティリティ・インデックス)や代表的な短期弱気指標であるプット・コールレシオが8月初めに急伸したが、それらは大きく鎮静化した。これらファンダメンタルズに根拠を持たない市場の嵐は、過度のレバレッジ解消に伴う癇癪ととらえられる。すでに過剰レバレッジの調整は急進展しており、市場の不透明感は改善に向かう可能性が高いと考えられる。

 大統領選挙という不透明要因はあるが、ハリス氏、トランプ氏どちらになっても、米国の中立金利が大きく跳ね上がっているという基本線は変わらない。米国の2年債利回り3.58%、10年債利回り3.66%は100bpの利下げを織り込んだ水準。米国の市場金利はすでに循環的ボトム圏にあると考えられる。とすれば、日米金利差から想定されている1ドル=140円を超えての円高進行も考えにくいとみられる。

(2024年9月16日記 武者リサーチ「ストラテジーブレティン363号」を転載)

配信元: みんかぶ株式コラム