プーチン氏の緒戦でのつまずき
ロシアがウクライナに対する軍事侵攻に踏み切って1週間が経ち、両代表団によってベラルーシで停戦協議が行われている(本稿執筆時点)。刻々変化する戦況を判断することは危険ではあるが、電光石火の攻撃により緒戦で勝利し、ウクライナ側に(1)非武装中立化、(2)クリミア半島の主権譲渡を飲ませるというロシアの目論見はうまくいっていないようである。傀儡政権の樹立も今では難しくなっている。
誤算はウクライナの士気とドイツの政策大旋回
誤算の2大要因は、ウクライナ側の士気が高く抵抗が強いことと、国際世論のロシア批判の高まりである。SNSで全世界に伝えられるゼレンスキー大統領の英雄的抵抗と国民の愛国心の高まりは、国際世論を味方につけ、ロシア批判の共同戦線とも言えるような雰囲気を作っている。
その中で特筆されるのは、欧州連合(EU)をリードするドイツ・ショルツ政権の政策大旋回である。ロシアによるウクライナ侵攻直後の2月28日、ドイツ議会の特別セッションにおいて、1000億ユーロの軍近代化予算と、軍事予算の増額(対GDP比1.5%~2%)が表明された。また、北海ルートのパイプライン「ノルドストリーム2」の棚上げも打ち出された。
さらに国際決済システム「SWIFT(国際銀行間通信協会)」からのロシア排除、ミサイルや装甲車などのウクライナへの軍事支援、石炭と天然ガス備蓄の増強、カタールと米国からのLNG(液化天然ガス)受け入れターミナル2つの建設などが、緑の党の同意のもとに打ち出された。2022年に全廃が決まっていた原子力発電所の運転延長や廃止原発の再稼働なども俎上に上ってくるかもしれない。
4つの可能性、すべてはプーチン氏にかかる
平和主義、反軍拡、脱カーボンに彩られたドイツ中道連立政権の存在は、北大西洋条約機構(NATO)を押し返そうとするプーチン政権にとって、大きな安心材料であった。その180度の政策転換は、自ら蒔いた種とはいえ、プーチン政権にとって大いなる読み違えであっただろう。となると、これからどのようなシナリオが考えられるだろうか。ことは全てプーチン氏の判断にかかっている。4つのシナリオがあり得る。
第一の最も可能性が高いシナリオは、プーチン氏のdouble down(2倍賭け)であろう。緒戦でもたついた分をより強硬策で突破し、ウクライナ側の屈服を勝ち取ろうとするだろう。3月4日の原発攻撃はまさにdouble downそのものかもしれない。
第二に可能性が高いシナリオは、停戦を餌に非武装化などの譲歩を勝ち取る、いわば大坂冬の陣型の対応(藤崎元駐米大使の説)であろう。これはそのあと夏の陣が控えており、ウクライナにとっては最終的な解決策にはならず危険である。
第三の可能性は、国際批判の高まりと国内経済悪化によりプーチン氏が失脚・排除されるシナリオであるが、まだ機は熟しておらず当面は考えにくい。
第四のシナリオは、プーチン氏の改心による侵略の終結であるが、それはほとんど考えられない。
経済制裁でプーチン氏を引き下ろせるか?
このように整理すると、ウクライナが徹底抗戦の姿勢を変えないとすれば、プーチン氏の退陣のみが究極の解決策となる。ロシア内部での厭戦気分の高まり、プーチン批判が相当に高じなければ政権の交代はなかなか起きないかもしれない。EU、米国の対ロシア経済制裁、SWIFTからの排除、金融制裁、経済でのダメージが相当高まることが必要である。
では、SWIFTからの排除などの経済制裁の効果はどれほどであろうか。天然ガスの最大の顧客であるドイツの政策大転換はプーチン氏にとって痛手であるが、短期的に大きなダメージにはならないかもしれない。なぜなら、ロシア最大のズベルバンク、第3位のガスプロムバンクはSWIFT排除の対象外になっており、引き続き石油ガス供給を続けることができるのである。
ルーブル暴落、インフレの帰趨が鍵に
むしろ、同時に打ち出されたロシア中銀と日米欧中銀との取引停止、ロシア外貨の凍結の方が大きな影響を持つかもしれない。こうした事態に備え、ロシアは外貨準備を大幅に増やし、かつその中身を大きく分散化、制裁に堪え得る体制を整えてきたようである。
ロシアの保有する外貨準備高はウクライナ侵攻直前には6430億ドル(74兆円)と、ボトムの2015年に比べ7割も増加させていた。昨年6月時点での内訳はユーロ32.3%、金21.7%、米ドル16.4%、人民元13.1%、英ポンド6.5%、日本円5.7%、カナダドル3.0%などとなっている。この中で、すでに米、英、カナダ、欧州連合(EU)、日本がロシアの外貨準備を凍結しており、それはロシア全体の約6割にのぼる。周到に金や人民元の比重を高めてきたが、それでは到底間に合わない。
ルーブル大暴落に対応した外貨介入ができなくなり、大幅な金利引き上げを余儀なくされているが、それでもルーブルはウクライナ侵攻前の78ルーブル/ドルから117ルーブル/ドルへと5割の大暴落になっており、深刻なインフレが懸念される。IIF(国際金融協会)はロシアのデフォルト(対外債務不履行)の公算は大としている。ロシアは10%を超える経済成長の落ち込みを余儀なくされるだろう。
EU、米国、日本の順に返り血浴びるが、リセッションは回避できよう
他方、ロシアにエネルギーを依存している欧州も返り血を浴びることになるが、ガス・原油価格の上昇の悪影響は限られよう。第三次石油ショックのような惨事は考えにくい。米国でのシェールガス・オイルの増産、カタール、アルジェリアへの転換も可能である。米欧では最大で1%程度の消費者物価指数(CPI)の上昇があり得るとしても、リセッションに陥るほどのことにはならないだろう。経済はロシアの一人負けになるのではないか。
このままではロシアは発展途上貧国に凋落へ
となると、株式市場への悪影響は限定的になるだろう。むしろ、金融引き締め圧力が弱まること、ドイツの政策大旋回に見られるように、世界の民主主義国家の団結が強まり、投資家心理への好影響が期待できる。
その中で、産業基盤が弱体化し、資源依存の新興国型の経済構造に陥っているロシアでは一段と困難が進行する。ロシアの経済プレゼンスの凋落は必至で、いずれエネルギーにのみ依存する開発途上貧国に転落するかもしれない。
(2022年3月4日記 武者リサーチ「ストラテジーブレティン300号」を転載)
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