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テーリー・ガーター(長老尼の詩)
子の亡骸を抱いて「薬を薬を」と泣きながらさまよい歩いていたので、「いまだかつて死人を出したことのない家から、芥子の実をもらってきなさい」とブッダに諭され、そのような家のないことを知って、正気に立ち戻ったキサー・ゴータミー尼がいます。
子の死を悲しんで悩まされ、心が散乱し想いが乱れ、裸で髪をふり乱して、わたしはあちことをさまよいました。
四つ辻や塵埃捨場や、死骸の棄て場所や大道を、ずっとわたしは飢えと渇きに苛まされながら、さまよいました。
たまたま、わたしはブッダという幸いな人が、ミティラー市に来られたのを見ました。その方は、訓練されていない者を調練する人、正しく覚った人、なにものをも恐れない人でありました。
わたしは、もとどおりの心を取り戻し、敬礼して、座につきました。かのゴータマ(ブッダ)は、悲しみを垂れて、わたしに真理の教えを説かれました。
この「長老尼偈」は宗教詩であって、その力と美において「リグ・ヴェーダ」の賛歌に相応するものなのだそうです。
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