kouboudaisiさんのブログ

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「妙好人伝」より

昔、越中国の塩村大永寺に、七歳になる幼女、疱瘡を煩い養生のためとて、三里ばかり北にあたる富山の類寺へ父母とともにいゆきて、昼夜看病をせられけるが、次第に病おもりて往生の覚悟もいかがかあらんとおもひながらすすめかねて日を歴(ふ)るに、再取戻すべきようもなくなき病身なれば、母、すき間を考へて問やう。其方はまう死ぬるてあらふ。今死たらば何処へ行くぞといへば、幼女、目を開きて母の顔をながめて、わたしは死ねば極楽へゆきます。阿弥陀様が御馳走を用意なされて待ちかねてござる。といひて念仏せしが、又、母尋ねて、その極楽へはいかがして行くぞといへば、幼女のいはく。阿弥陀様におはれて行きますといふ。母大きによろこびて、住持にかたる。住持も喜びて枕もといにゆき、今一往たづねんといへば、母これをとどめて、あのように苦しかりて居ますもの止(やめ)にして下されといふ。住持きき入れず、右のごとく問ければ、答へること又同じ。扨(さて)、亦問やうは、何ゆへ阿弥陀様がおふて行(ゆか)しやるぞといへば、幼女いはく。わたしはわけはしらねとも、阿弥陀様はわたくしがかわゆふてかわゆふてならぬそふなといへば、住持も落涙して、仏智不思議の御念力が幼女の胸の中まで入りこみて、斯くのごとく領解(りょうげ)いたさせ下されたり、と喜びしとぞ。其の頃、世に伝へて知らざる者なし。

おそらくは、当時この少女の家庭や地域に展開されていた死生観であったのでしょうが、七歳の少女がこれほど明確な死生観や信心を持っていたとは、本当に驚きです。







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