サイコさんのブログ

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貧困と愛国

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  士業(弁護士、会計士等)  現在 5位

 佐高 信は好きではなかったのだが貧困と愛国を読んで少し印象が変わった。この本は雨宮処凛との対談本なのだが、現在問題になっているプレカリアートに言及しつつ、彼らの経歴から今に至る思想的な背景にもふれている。本の最後にたいてい載ってる筆者の略歴みたいなのだけでは図り知れないものもあるし、上リンクのWikiも好意的でない書き方に読めるのは佐高が社民党だからなのか。まぁ、そんな憶測はいいとしてもかなり壮絶に生きたおっさんであることは確かである。だから、かなり強い。それはほんとの積み上げであることも間違いないし、そりゃ彼からすればプータロウの戯言などは単なる甘えにしか最初は映らないのだろう。それに応答したことについてだけでも、赤木の方ももう少し真摯であるべきと思い至った。まぁ、佐高自身がニート的な時期があって、そのどん底を這い上がれたことについては、知り合い、友達のお陰及び状況的なものであったということだが、それでも異彩をはなつ人である。
現在的な若者の労働環境を中心に語られる中、そうとうギリギリまで追い詰めてしまうのは、あまりにも本人の真面目さ、という解釈も出来て、解消策としては結局対極にある怠慢(不真面目さ)、逃避くらいしかないようではある。しかし、ヤマダ電機の話が出てくるのだけれども、売り上げがあがらないことで社内暴力(上から下へ)が横行しているなどという話は、どこかの相撲部屋みたい(実際書いてあるけど)とほんと思った。しかし、そこまでして正社員になりたいことの表れであるとして、フリーター、ニートは「自己責任」で済まされる現象では最早ないことは、そこからも読み取れると思うのだが。政府もそれなりに対応策を講じているのではあるが、それに対する世間の反応があまりに冷ややかであることを思うと、今の日本人全般に真を見極める力が極端に劣化しているように感じる。それは簡単に「ダメ」と批判するだけを取って見ても感じられるし、その中身自体がまとを得てなかったりすることからしても感じる。
後半に愛国を巡る対談があるか、と思ったら、さしたるナショナリズムがあるわけではなく、裏返しとしての愛国、ということのようだ。まず、伏線として雨宮処凛が率いていた伝説のパンクバンド「維新赤誠塾」が、バクダッド(イラク)の国際音楽祭に出場したときに、大喝采だった話があって、まぁ、そこで90年代後半当時、雨宮は反米右翼バリバリだったから、「アメリカ反対!」とかやるとあまりに受けまくったということである。それとイラク人が日本を変に美化していることに、特に太平洋戦争のときの神風特攻隊を称揚することに言葉を失う、ということも書いてある。これは、彼らが「ジハード」として自爆テロをやることに繋がっているということだ。そして、9/11を経て、現在、ミニスカ右翼はゴスロリ左翼になっているということだ。余談だが、一応師匠となっている見沢知廉が左から右に行った人なのだが、雨宮は右を保留したら一機に左っぽくなっている、逆の揺り戻しみたいな感覚である。
さて、ライン労働者の現状が、どんどん劣悪化するなかで、さらに人件費を抑制するための手段が、外国人労働者を導入するということで、そうした環境下でなにが起こるのかということである。外人部隊は、日本人の作業よりもきつい仕事に回される、ということで現場日本人は、取り合えずまだ下がいるということだけで、なんとか仕事をやってるということで、ここで裏返しの日本人であるというアイデンティティを持ってしまうということのようだ。そこに愛国心が湧き出る要素というのは希薄だとは思うが、実現場で外人とコミュニケートすることもなく、淡々と単純作業を続けなければならないところに、裏返しの愛国が忍び寄ってた、ということらしい。「愛国」に関しての記述はそんなところだったので、まぁ、今回はこの辺にしときますが、実は同じに借りてきている思想地図(vol.1)が、まさにナショナリズムについて書いているので、次回以降に書いてみます。というか、さわりだけ書くと、グローバリゼーションが進行することによって、国家という機能が前近代的な枠から完全にはみ出てきていて、そうするといわゆる戦争という概念も変化している、ということを前提として、国家権力が保守すべきものをいかに守るかという技術的な問題がある。9/11以後の保守手段の概念化が、セキュリティというキーワードである。これが、いかに愛国とつながるのか、ということです。


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