kouboudaisiさんのブログ
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最澄「顕戒論」
「風色見え難しといえども、葉を見て方を得ん。心色見えずといえども、情を見れば知り易(やす)し。」
伝教大師最澄の言った言葉です。
風の形は見ることはできないが、葉の動きを見て風の動く方向を知ることができる。
同じように、心の形は見ることはできないが、人の動きを見れば、その心のあり方を押しはかることができる。
風の形や心の形は目で見て確かめることができないように、悟りの実体も知ることは難しい。
だが、そこから醸し出されるものによって、その実体をうかがい知ることができる、というものである。
そんなふうに相場の先行きや株価の値動き予想が上手く出来ないものかと常々
思っているのですが、なかなか大阿闍梨のようには行きません!!
私も昔幼いころに祖母に連れられて高野山へ行ったことがあります。
知り合いの社長さん(もう亡くなりました)も高野山へよく行かれてました。きっと何かを得るためだと思います。
僧侶といえども彼らは「仕事」すなわち職業としてやっているので
別の世界の人ととらえるのはどうかと思います。
私たちは今与えられた仕事を使命ととらえて毎日頑張るしかないです。
その亡くなった社長からよく「足るを知れ」と言われていたのを覚えています。
こんばんは!コメントありがとうございます。
良いことをおっしゃいますね!
ただ真言宗では、煩悩即菩提という言葉もあります。
私は天台宗の寺に3か月余り修行に行ったことがあります。
そこの僧侶たちはどう見ても、そんなに努力して修行をしている
ようには見受けられませんでした。
人間は煩悩の塊ですし、修行もしない凡人は時の流れに身を任せるしかないのです。
もし上を行きたいなら、やはり人の何倍も努力したり、人のために何かしなくてはならないのだと思います。