月影 隼人さんのブログ
密航した犯罪者の子孫
在日韓国・朝鮮人は強制連行された人々の子孫ではなく、密航した犯罪者の子孫が殆んどである
私の記憶では戦後帰還事業を行って殆んどの人達を朝鮮に帰した筈です
自由意志で日本に残った人達と、朝鮮戦争から逃れる為に密航した人達が今の在日です
1949年には、当時の吉田首相が、在日朝鮮人は100万人程おり、その半数は不法入国で、日本で犯罪を犯す者も多く、日本の復興に全く貢献していないので、「日本の経済復興の貢献する能力を有すると思われる朝鮮人」以外は、日本が費用を持つので母国たる朝鮮半島に帰還して欲しいという「在日朝鮮人に対する措置(1949年)」文書をマッカーサーへ提出している。
サンフランシスコ講和条約発効直前の1952年(昭和27年)1月18日、大韓民国大統領李承晩は李承晩ラインを一方的に設定して竹島を占領した。
1965年(昭和40年)の日韓基本条約締結までに韓国により、このラインを越えたことを理由に日本漁船328隻が拿捕、日本人44人が死傷(うち5人が死亡)、3,929人が抑留された。
竹島近海では16人が死傷した(これを韓国側は日本は痛手を負ったとしている)。
韓国側からの海上保安庁巡視船への銃撃等の事件は15件におよび、16隻が攻撃された。
そこで韓国側が外交カードとして使ったのが、拉致した漁民たちである。
●終戦直前(昭和20年)には約200万人。
この内70万人は職を求めてきた個別渡航者と出生。
http://www.sankei.com/column/news/180428/clm1804280002-n1.html
政府が17日に閣議決定した答弁書は、昭和34年7月11日付外務省記事資料を引用していた。資料は「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について」で、朝日新聞が「大半、自由意思で居住 外務省、在日朝鮮人で発表」と報じていたものである。
▼資料によると当時の在日朝鮮人約61万人中、戦時中に徴用労務者として来た者は245人にすぎない。資料は断じる。「大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるというような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、事実に反する」。
▼資料は、高市早苗前総務相が外務省を叱咤(しった)して探させるまで、埋もれた存在だった。平成22年3月10日の衆院外務委員会で高市氏が「現在も有効か」と問うた際には、民主党政権の岡田克也外相はあやふやに答えた。「急に聞かれても私、把握していないので分かりません」。
▼それが今回、内閣の公式見解である答弁書に登場したのだから、8年ぶりに「有効だ」との答えが出たことになる。在日韓国・朝鮮人は強制連行された人々の子孫だとの神話は、もう通用しない。自らの意思や家族に連れられるなどして日本に渡った人々がほとんどなのである。
▼小泉純一郎元首相の父、小泉純也法務政務次官は昭和30年6月18日の衆院法務委員会で、韓国からの違法入国者について訴えている。「向こうからは、入れれば手段方法を選ばず、命がけでも密航をして、怒濤(どとう)のごとくどんどん入ってくる」。
まだまだ有るけど・・・
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貴重な情報、ありがとう、御座います。
今後の考えの、基本になります。
後で、ゆっくり、検討致します。
5月1日(月) 13時45分
堅実さん
少し追加しました
このブログは、お気に入りに保存しました。
時々、見てみます。
「1965年(昭和40年)の日韓基本条約締結までに韓国により、このラインを越えたことを理由に日本漁船328隻が拿捕、日本人44人が死傷(うち5人が死亡)、3,929人が抑留された。
竹島近海では16人が死傷した(これを韓国側は日本は痛手を負ったとしている)。
韓国側からの海上保安庁巡視船への銃撃等の事件は15件におよび、16隻が攻撃された。」
堅実さん
この時期、日本には武装解除されていて軍隊はありません(自衛権すらありません)
朝鮮戦争が勃発した後、自衛隊の前身である警察予備隊が出来ました