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円頓章(えんどんしょう)
円頓とは、仏道を志す初心において、生存のあるがままの姿が、真理と縁記という関わりで存在しているという究竟の真実(実相)に至りついていることをいいます。
あらゆる生存や現象は、相依相関の縁起によにもて存在していることから、空にも
仮にもとらわれない中道ということになり、すべてありのままが真実となります。
縁をあまねく世界につなげ、念をあまねく世界に集中しますと、一枝の花も、香りも、どの存在とってみても、それらはすべて中道と表現された真実の真理にかなっていないものはないのです。
自分の世界も、仏の世界も、そして生あるあらゆるものの世界も同様に心理にかなっていて、まったく別のもではないのです。
五蘊・十二処・十八界がみな真実であれば、四苦八苦など、苦を苦だからちいって
捨てる必要はありません。無明や煩悩も、煩悩即菩提とする円頓の境地からいえば、苦の原因として断つ必要はありません。
辺も邪も、中道であり正であるとするなら、八正道を修める必要はありません。
生まれ死ぬのが涅槃であれば、修行によって涅槃の悟りを証す必要はありません。
仏教では、迷いにとらわれ流転している世間と、それを超越した仏菩薩の出世間とに分けていますが、苦を超越すれば世間という実体もなくなり、涅槃を悟るということもなくなり、出世間ということにもとらわれる必要もなくなってくるのです。
ただ、あるがままの生存だけが現実であり、純粋に真実は一つであり、真実の他に別の教えはありません。真実の相が寂然としていることを止と名づけ、静寂でありながら常に明らかにすることを観と名づけます。だが、止と観とに分けたものの、これらは二つでもなければ別のものでもないのです。
このような思考と実践を円頓止観と名づけます。
だからこそ正しく知るべきです。衆生世間と、その住処である国土世間、およびそれを成り立たせている五蘊世界は一念三千です。だから道を完成するとき、この真実と溶け合って、身も心もあまねく世界に遍満するのです。
*本当に中道という事が分かれば、四苦八苦も無明や煩悩も気にする必要はない と教えられても、現実の生活苦に悩まされもう老後に差し掛かりその不安に怯え ている私にはどうにもなりません。
ちなみに、円頓章は天台宗の勤行で唱える経の中の一つで、天台宗独自のものです。
あけましておめでとうございます。
頼りない私ですが
今年もよろしくね。
今年は空海がありますよね?
空海は最澄の弟子でしたっけ?
比叡山より高野山のほうが高いらしいので
昨年より今年の山(高値)に期待しています。
株価の上昇を期待していますが、今後の動きは誰にも予想できないと佐登っています。