村上ははっきりと表明している。
「僕はムー民一族じゃないし、そーいうの信じてない」
デフォルメすると、こんな感じ。
なのに、彼の書いた作品は、
ムー民色に充ち満ちたものになってしまう。
何故なのだろうか?
読んでいく内に感じたのは、
まず彼の執筆方法に関係があるのではないかということ。
長編の場合、
だいたい三つくらいの核になるテーマだけ朧気に浮かべておいて、
今なら書けそうだというタイミングが来るまで、
何年でも待つのだという。
そして、いったん書けるタイミングが来るや否や、
一気に最後まで書きあげる。
その途中、物語の構成だとか一切考えずに、
言葉の勢いを殺さないように、とにかく一気に書く。・・・・①
その後は、ひたすら何回も推敲していって、完成となるという。
★「みみずくは黄昏に飛びたつ」
村上春樹・川上未映子 新潮社 2017.4.25.発行
最新の脳科学では(といってもちと古い知見)、
人が何か行動を起こそうとするとき、
脳がどのように働くのか計測すると、
通常ならば「1→2→3」となるべきだと思われるところ、
「2→1→3」みたいな順番になっていたのがわかり、
大論争になったという話を、科学雑誌ニュートンで読んだ。
「2→1→3」ってな順番だと、
自分の意識ではない、他の何ものかの意識が働いているかのような
解釈ができてしまうから、大論争になった。
オイラの妄想だと、
普通の人はたとえそういう順番だとしても、
それがあたかも自分の意識が決めたことのように錯覚して、
どーということはない。 ・・・・②
けれども、これが霊媒体質の人の場合、
「2」の部分の受け取り方が、これは自分の意識ではないと
はっきりと認識できるのではないか。
太古に存在していたシャーマンとか、現代でも霊能者とか
言われる人びとは、こういう認識ができるから、
「それは、神の声」だとわかるのではないか。 ・・・・・③
村上は①の作業をしているあいだ、
③に近いような体験、
たとえば、自動手記のようなことを経験しているのかもしれない。
でも、村上はムー民一族じゃないと表明しているのだから、
自分が③の行動をとっているとは気がつかない。
どちらかというと②の行動をとっていると認識している。
*
それからもうひとつ感じたこと。
村上の執筆方法からわかるとおり、
彼は、構成をキッチリと組み立てて書く三島由紀夫とは真逆の作家だという点。
また、なによりオモロイのは、三島はムー民一族だったということ。
彼はUFO研究会に属していたというし、
輪廻転生のような概念も信じていたかもしれない。
こういうところも、村上と三島は真逆なのだった。
*
オイラもいつの日か、
「書くなら、今だ」みたいに、スイッチが入る日が来るのだろうか?
★「So Not To Worry」
Chaka Khan