月影 隼人さんのブログ
ザビエルの書簡
ザビエルがローマに送った1548年の書簡
①質問好き(知識を好む)
②理性に導かれる
日本人は論理的思考を好みます
故に私が地球が丸いことや、雨の原因について説明すると彼らは夢中になるのでした
しかし、私が「全能である神が、悪魔を含む全宇宙を創造した」と話しても彼らは納得しないのです
なぜ、善である神が悪魔を創造したのか??
全能である神が、人間をこれほど弱く罪を犯しやすいように造ったのか??
このように質問してくるのです
イタリア人宣教師シチドと新井白石
「天地万物を創造したデウスがいるというなら、デウスにもまた必ずこれを造り出した作者がいたはずだ。デウスが自らなりでることができるものならば、天地もまた自成し得ることに何の不思議もない」
「もしすべての日本人が彼と同様に知識を求めるのに熱心な国民であるとすれば、日本人は今まで発見された諸国の中で、最もすぐれた国民であると思う。
‥‥私がアンヘロ(ヤジロウ)に向かって、もし私が彼とともに日本へ赴いた ら、日本人は果たしてキリシタンになるであろうかと尋ねて見た。彼の答えに よると、日本人はすぐにはキリシタンになることはないであろう。まず始めに多くの質問をするであろう。それから私の答えと、私にどれだけ智恵があるかを確かめよう。そして、何よりも私の生活が、私の教えることと一致している かどうかを検討するであろう。」
「要するに討論して、私が彼らの質問に満足な答えを与えるとともに、私の言動に非難する点がないという、この2点に及第すれば、‥‥恐らく国王を始め、 武士も思慮あるすべての人々も、キリシトへのヒイデス(信仰)を受容するであろう。またアンヘロの言葉によると、日本人は理性のみに導かれる国民であるという。
私たちの前には死の危険があり‥‥4隻のうち2隻が向こうの港に着くことができれば、特別な幸運だと云われているくらいである。‥‥私は心中深く励まされているから、日本に行くことを決してやめまい。たとえ私の全生涯にかつてないほどの大きな危難にさらされることがたとえ判り切ってはいても、私は往く。それはわれらの主なるデウス御みずからが、かの東の国にお いて聖なるヒイデスに輝ける勝利を与えて下さることを私の心は確信している からである。」
「まず第1にいうべきことは、今までの交際によって知り得た限りにおいて、 この国民は、私が出逢った民族の中で、最もすぐれている。‥‥日本人は一般 的に良い素質を持ち、悪意がなく、交際して非常に感じが良い。彼らの名誉心は極めて強く、彼らにとって名誉にまさるものはない。日本人は概して貧しいが、武士も町人も貧乏を恥と考えている者はない。彼らには、キリスト教国民の持っていないと思われる1つの特質がある。
それは、たとえ武士が如何に貧しく町人が如何に富裕であっても、貧しい武士も富豪と同様に平民から敬意をあらわされていることである。また武士が如何にまずしくとも、また如何に財宝が山と積まれようとも、平民とは決して結婚 しない。それにより自らの名誉が失われると思うからである。即ち金銀よりも名誉を尊重しているのである。
日本人の交際には極めて多くの礼式がある。武器を尊び、武芸に達することを願っている。彼らは武士も平民も14歳になるとみな大小の刀を帯びている。彼らは侮辱や嘲笑に堪え忍ぶことは出来ない」
「日本人の生活には節度がある。が、飲むことにかけては、聊か過度である。 ‥‥賭事は大いなる不名誉と考えているから一切しない。それは自分の所有で ないものを望み、ついで盗人になり易いからである。彼らは起請することは稀 であるが、誓う時には太陽にかけて誓う。住民の大部分は読み書きができる。 そのため彼らはオラシヨやデウスのことを速やかに学ぶことができ、我らにと って頗る好都合である。日本人は妻を1人しか持たない。窃盗は極めて少ない。 それは死罪に処せられるからである。彼らは非常にこの罪を憎んでいる。日本人はこのように非常に善良で、人づきがよく、知識慾に富む国民である」
「デウスは私たちを、贅沢の出来ない国に導き給うたことにより、私たちに多 くの御恵みを賜ったのである。‥‥日本人は彼らの飼う家畜を屠殺することも喰べることもしない。彼らは時々魚を食膳に供し米や麦を食べるのであるが、 それも少量である。しかし彼らの採る野菜は豊富であり、僅かではあるが、種々の果物もある。しかも、この国の住民は不思議なほど健康であり、中には稀 な高齢に達する者も少なくない」
「私たちが、この国にいて熱望しているのは、この国民をして、その創造主に して贖い主であるわれらの救主ゼスキリシトの知識に導くことである。世俗人たちは、自ら進んで私たちに反対し、迫害を加えたりはしないであろう。もし あるとすれば、それは坊主たちが絶えず行う煽動によるものに違いない。
しか し、私たちは彼らと争うことを出来る限り避ける所存でいる。しかし彼らを恐れているのではない。‥‥私たちは、如何に反抗があろうとも真理を示し、拡げるつもりでいる。それは隣人の霊魂の救いを、私たち自らの生命よりも愛すべきことを、デウスが私たちにお命じになるからである」
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