kouboudaisiさんのブログ

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法華経薬草諭品

原因は結果を生み、結果は原因を生んで、果てるとこるがない。われわれの生命も、生まれるべき原因がって生まれ、死ねば、変わった形になって宇宙のどこかに生き続けるだろう。我々にとってこわいのは、生がたちまち変じて死となることであり、死が無であることだ。しかし死は無ではなく、新しい生である。とらわれる心をすてる、我執を去るということは難しいことだ。われわれは執着を捨て去ることができない。執着する者は、ものをあるがままに見ることができない。ものの真実を見ることができないのである。財産に執着するものは、取られはしないかという心配から他人を疑う。敵視する。時には、先手を打つつもりで、他人に打撃を与えることだってあるであろう。いや、他人どころか、親も警戒して遠ざけることもあとう。そういう人の眼には、周囲の人たちは、欲張りか、強盗に見えるかもしれない。彼は他人をあるがままに見ず、他人の真実を見ない。
雲が世界から立ちのぼり、一切をつつみ、さらに大地をおおいつくし、水を満々とたたえ、稲妻を冠とした大きな雲が、音声をとどろかせながら、すべての身体ある者を喜ばすであろう。
太陽の光をさえぎり、周囲の土地を冷やして、手の届くところ垂れこめて、水をあまねく降らすであろう。
水は一様に降り、その水量は僅かでなく、いたるところに流れて、この大地を活気づけるであろう。
この地上に、ある薬草が生えるであろう。
あるいは、また、雑草・灌木・樹木も、高い木、また太い木も。
種々の穀物も、また野菜も生えるであろう。
山間に、また渓谷に、また森林に生えるであろう。
雲は、雑草・灌木・樹木のすべてを活気づけるであろう。
乾燥した大地を活気づけ、薬草にも降りそそぐ。
雲から放たれて、ここにある水は同じ味であるが、
雑草・灌木の類は、その能力に応じて、それを飲む。
いずれの高い樹・太い樹も、小さい樹、また中くらいの樹も、その勢いににより、
その力に応じて、すべての水を飲む。それらは水を飲み、思いのままに成長する。

釈尊は言う。
この世に存在する者たちすべてを活気づけ・・・苦しみにさいなまされた者たちを幸福にさせ、快楽と平安を与えよう。余は如来であり、世尊であり、余に勝るものはない。余は救済のためにこの世に生まれたのである。幾千、幾千万の生命ある者たちのため、正常で美麗な教えを余は語るのだ。その教えは同一、均一であり、真の本質は解放と平安とである。余はだれに対しても愛と憎しみを決してもたない。余は「大悲無倦常照我」(大きな慈しみ、うむことなく、常に我を照らす)という言葉が好きである。如来の大悲は飽くことなく、うむことなく、常に私ごときものを照らして下さる、と言うのだ。

NYダウ過去最高19023ドル。トランプ効果が株式投資家みんなに同一平等に照らしてくれる事を願っています。
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