伏見稲荷大社は、秦氏が711年に創建したとされているが、
稲荷山の中腹には、それよりも古来よりあったと推測される岩倉があったりする。
元々あった参拝施設を秦氏が手を入れて、今現在につながっているのだろう。
ただし、秦氏の手の入れ方は尋常ではなかったようだ。
現在の古代史研究家たちにより解明されてきたのだが、
そこにはさまざまな暗号が秘められていたようだ。
★「ムー 10月号」
820円(税込み)学研 「聖徳太子と失われたイスラエル10(12)支族の謎」
いちばん驚いた記述が、表題のものだ。
聖徳太子に使えていた秦一族は、失われたイスラエル支族なのであり、
もともと景教の影響を受けていたのだが、
それを日本で普及するにあたり、さまざまな工夫を凝らした。
イナリという言葉は、外来語であって、
稲荷や伊奈利という字は当て字だという。
INRI(JNRI)という略号が、
群馬県にいたという秦一族の羊太夫(ひつじだゆう)が所属していたと思われる古銅券から浮上、
それは「Iesus(Jesus) Nazarenus, Rex Indaerum」
というラテン語の頭文字なのではないかという。
「ユダヤ人の王ナザレのイエス」という意味だという。
それに加えて、平安京の建築にも携わったという秦氏は、
平安京の構造にも暗号を秘めた。
御所北側に位置する船岡山には、
伏見稲荷大社の本宮が存在し(建勲神社内の稲荷命婦本宮)、
その位置をキリストの十字架上部に見立てて設計したのだという。
キリスト磔刑の上部には「INRI」の文字看板が打ち付けられた。
この記事では、その他の聖徳太子に絡めた要因も考察しながら、
特に稲荷は、キリスト教的神道なのだという解説がなされている。
稲荷は、神道+キリスト教のハイブリッド。。
オイラにとってこれは衝撃的で、
心中で何かがうごめくような感触を覚える。
PS:2014.8.7に、角南攻氏が逝去されたという。
「ボクの前世はフランスの文学オバサンだった!!」
という、それはそれは不思議な記事が遺稿となった。
その文面や写真からは亡くなられたということが、信じられない。
かなり寂しい。