小説『音楽』は、○×△□●氏の作品系列の中で、
主流に属するものとは言いがたい。
これが最初に発表された舞台も婦人雑誌であったし、作者はある程度、
読者大衆を意識して、いつもの○×文学の厳格無比な修辞を避け、
平易な文体を心がけているように見受けられる。
これは○×氏が自分の主流に属する仕事のかたわら、
ときどき見せる才気の遊びともいうべき、
よく出来た物語(トシ)の一つであろう。
一篇の主題になっているのは精神分析で、
作者は精神分析の本質というものを読者にわかりやすく解説しながら、
──というよりも、作者が年来いだきつづけている、
精神分析という学問ないし世界観に対する根本的な疑問を自問自答しながら、
あたかも推理小説のごときサスペンスをもたせて、
一女性の深層心理にひそむ怖ろしい人間性の謎が、
ついに白日のもとに暴き出されるまでの過程をじっくり描いている。
よく出来た小説であり、エンタテイメントとしても上場の作であろう。
小説は手記の体裁になっており、
精神分析医・汐見和順が一人称で観察や分析や意見を述べるのであるが、
この記述者の意見のなかの或もの、
たとえば正統フロイディズムや現存在分析に対する批判的意見などは、
現在の○×氏自身の意見にほぼ近いものと思って差支えなかろう。
○×氏は一時、フロイトやユングにかなり身を入れて付き合ったと思われる節があるのに、
ごく最近では、「人間個々人の心の雑多なごみ捨て場の底へ手をつっこんで、
普遍的な人間性の象徴符合を見つけだそうという」
(『古事記』と『万葉集』)精神分析学者の執念ぶかい手続きに、
あからさまな嫌悪の情すら示すようになってきている。(略)
(昭和四十五年二月、フランス文学者)
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★「音楽」
三島由紀夫著 新潮文庫 490円+税
S40.2.20.発行 H18.6.25.八十一刷 H24.2.20.八十七刷
解説 渋沢龍彦 P.258より抜粋・一部改変
(○:三、×:島、▲:由、□:起、●:夫)
三島由紀夫40歳頃の作品だ。
「仮面の告白」同様、オイラは予想を裏切られた。
大変にオモロイ作品だった。
三島は天才なんだなと、つくづく思う。
ところでオイラには、例の如く不思議な現象が生じた。
主人公である汐見医師が、村上春樹に思えてしまうのだ。
これはきっと、
「精神分析 → 河合隼雄 → 汐見医師 → 村上春樹」という図式で、
ある種の化学変化が起こったためだと思われた。
オイラの頭の中で演技をしている村上春樹は、
なかなかイイ味を醸しだしていた。
彼はもともとそちら方面を志していた節があるので、
オイラの妄想は、あながち間違いではあるまい。
TV局のプロデューサー、
誰かこの大きな猫に、鈴をつけてみませんか?
阿部寛、遠藤憲一、村上春樹という、
伏見稲荷つながりの共演を、どうしても見たいんだけどなぁ。。