iru*at*tu*ameさんのブログ
証言 あの日、あの時。
東日本大震災から、3年が過ぎた。
各地で、その地域での「慰霊の式典」が開かれた。
TV番組でも、色々報道されていたが、、、、。
私が、1番感心した番組はNHKの「証言 あの日、あの時」だった。
私の住んでいる町の85歳の女性(おばあさん)の証言だったが
大震災時に、自分で車を運転して「マストの湯」(町内の、ショッピングセンターの近くで
営業していたミニ健康ランド)に行き入浴中だったらしい。
(80代女性が、車を運転しているのが凄い。)
他のお客さんが逃げたのに、体に石鹸が付いているからと最後まで入浴するつもりで
いたらしい。
しかし、従業員に促され「洗ったか、洗わなかったのかサッパリ分からない状態。」で
着替え車に乗り、ショッピングセンターの駐車場に移動したそうだ。
「自宅より、ここが海から遠い。ここで、様子を見よう。」と考えたらしい。
所が、他の人達は車を捨てて高台に逃げ始めた。
そして、「高台から見ると、巨大津波が町内の家々を押し流しているのが見えた。」そうだ。
そのおばあさんだけが、駐車場に車の中で残った状態。
高台から、皆でおばあさんに「逃げろ~。津波が来るぞ~。」と叫んでも
おばあさんには聞こえない。
勇気有る方が、助けに行って一緒に逃げようとしたが、高齢なので素早く動けない。
ショッピングセンターの男性職員が、背中に背負って逃げて
助かったらしい。
「そのショッピングセンターは津波で被災し、焼失し駐車場も瓦礫で目も当てられない。」
状態だったが、今は営業を再開している。
番組の最後に、おばあさんが助けてくれたショッピングセンターの男性職員に
お礼を言って良い感じで番組が終っていた。
明日、釜石市にイオンが開店する。
町内のマストと「共存共栄」出来るかどうか?
nyajyaraさん、今晩は。
そのおばあさんは、TV番組の中で
「呑気(油断)してたの。
昭和三陸大津波を体験しているんで、まさかここまで
津波が来るとは思いもしなかった。」と話していました。
東日本大震災の時は、私の母はディサービスに行っていて
家にいなくて、残った家族は避難するのが手早く出来ました。
試しに、「母を背負って、逃げれるか?」試してみましたが
「耳を引っぱったり、頭を叩いたり、首を抓ったり。」して
母は嫌がりました。
小督さん、今晩は。
東日本大震災では、私の住んでいる町では1200人近くの人達が死亡・行方不明に
なりました。
それ以上の人達が、津波で流されましたが助かりました。
その人達の「生存の記録」は、何冊かの本で出版されています。
我が家族などは、「何も持たずに車で避難しながら、車内のバックミラーから
町内の家々が津波で押し流されるのを見ているだけでした。」
東日本大震災では、健康ランドにも色々な被災が有りました。
私が、入った健康ランドの中には
男女の風呂を分けているガラスブロックに、ヒビが入っていて
そこを白い布テープで貼っているだけの所も有りました。
「もう1回、地震が来たらどうするんだ?」と
思いました。
こんばんにゃ~
心温まるエピソードをありがとうございました。
他人でもちゃんと助ける心を日本人は忘れていませんね。
こんばんは
>勇気有る方が、助けに行って一緒に逃げようとしたが、高齢なので素早く動けない。
>ショッピングセンターの男性職員が、背中に背負って逃げて
>助かったらしい。
おばあさんも大変だったと思いますが、
おばあさんを助けに行った勇気ある方、背中に背負って逃げた男性職員も、
一刻を争う非常時に、自分自身の危険も省みずに行動されているので、
スーパーな人たちです
地震が続いている時に、私が一番嫌だったのは入浴ですね。
頭を洗っている時に、外に飛び出すと、私一人だけコメディーになりそうですから