りんりん/Kさんのブログ
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中国、天津にて(8)
日本は、参議院選を控え、政治の季節に入って行きますが、中国もこの秋の全人代(日本の国会にあたる)の開催を控え、政治的には同じような状況を迎えます。
しかし、中国の政党は一般選挙権による選挙によって、選択されるのではないために、一般市民にはほとんど政治に関心が薄い、と言うのが実情でしょう。何か規則や法律が発せられてから、対応を考えるというような風潮があります。
中国は、現在ほぼ共産党独裁の国ですが、1党独裁というわけではありません。公認された民主的諸派政党も数党存在します。
天津で、私の古くからの友人の父君は「台盟」と呼ばれる諸派政党の1つである政党の副主席を務めていた時期がありました。今でも、私は「おじさん」といって、その人柄を慕っている方です。
この政党は、在中国台湾同胞の権利や主張を代表する政党の一つです。活動内容は、今では在中国での経済活動を行う多くの台湾人同胞の支援や国内での福祉活動を積極的に展開しています。例えば、台湾系企業への支援活動などで得られる資金を基金としてプールして、貧困に苦しむ内陸部の寒村の小学校に備品等の支援を行ったり、奨学金を与えて学生を支援したり、障害を持つ子供を励ます活動を行ったり、というようなことも実施しています。こうした活動を通じて政党としての影響力を保持しようとしています。
日本は、戦後から、これまでの間に、高コストの公共重視型社会を実現してきましたし、私たちは否応なしに、それを享受してきました。
その結果、何でも政府に頼る政策を当たり前と思ってやってきています。政府が何とかしてくれるのでは、という淡い期待がその現れです。
今話題の年金制度しかり健康保険制度しかり、福祉や社会制度での育児や介護等々、食の安全に関わる食糧政策や農業政策、談合まみれの国土開発に関わる建設行政、競争の少ない産業横並び政策、ひょとすると税制までもが、政府に頼り切った結果の金属疲労状態のように思われます。
時々腹も立つでしょうが、是認してきた自分たちにも責任もあるでしょう。
ところが、中国では、また違った意味で香港では、一般庶民の意識は、日本人の意識とは全く異なります。
中国は、よく言われるように「上に政策あれば、下に対策あり」というような、政府と一般庶民の関係が厳然と存在します。
庶民は、あまり「お上」を頼ろうとしませんし、上からの、または外からの災難が降りかかってくれば、なんとか自助努力で家族や一族郎党を守るというような発想からスタートします。
保身の意味もあるのでしょうが、あまり口に出してまでは言うことはしませんが、拭いがたい時の為政者に対する不信感と迎合が絡み合っています。先の都市部の勤労者に対する所得減税や農村対策と格差対策のために打ち出された農民税廃止といった政策を素直には受け入れますが、一方で何か別のところで不利益や取り立てられるのではないかと、恐れてもいます。
こうした、庶民の「お上」に対するバランス感覚は、長年の歴史的蹂躙の結果ですが、それだけに、自らを守るすべもちゃんと用意されて、交渉術や理財術や処世術に長けているのです。
「お上」からの恩恵には預かっても、すべてを委ねるようなことはしない。逆のことが起こっても良いように、一応対策もしておく、という態度はなかなかの「智慧」ではないかと、思っています。
こうしたことが、彼らの高度な交渉術、理財術、処世術に繋がっているのだと思います。海外では世界各地に散在する中華タウンや華僑の伝統もこうした考えに裏打ちされています。
わずかな年金に頼らなければ生きていけないような社会に、いつからこの日本がなったのか知らなかったのですが、日本は世界でも有数の資産家の国ではなっかたのですか?
中国の事情通の人と、こうした日本の現状について、対話するとき、「蟻とキリギリス」のような話で「どうして日本人は蟻のように一生懸命稼いだのに、何時からキリギリスのように蓄えを使い果たしてしまったのですか」と言われました。
仮に中国人なら、将来のことをよーく考えて「貯金」をしますよ、と。
そのひとは、今なら株に「投資」しますよ、とは言いませんでしたが。
<つづく>
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日本は悪政に困った時代があったとはいえ、江戸からは比較的安定した生活を庶民も過ごせたということからお上のいうことは比較的受け入れる文化なのでしょうか。
年金が貰えると信じて年金貯蓄をしてきたつもりの日本人は、ここになってお上に裏切られつつあるんでしょう。
とは言え、払わないといわれているわけでもなく一部支払いが滞ったり減額されるというイメージで、国民が団結して問題にとりかかろうというほど、今の日本にインパクトがある内容でもないのが、また問題なのでしょうね。
この夏の参院選で結果がでるとも思えませんが、どういう結果になるか個人的には見ものです。