AAI Fundさんのブログ

最新一覧へ

« 前へ611件目 / 全2295件次へ »
ブログ

【書評】『夏の嘘』ベルンハルト・シュリンク著、松永美穂訳



嘘をついてはいけない、と教えられながら大抵の人間は育つ。だが厳密に言えば、それは嘘だ。「嘘」の反対は「真実」ではなく、「嘘ではない」ということにすぎないのだな、というのが、この短編集を読んでまず思ったことだ。

 ベルンハルト・シュリンクの『夏の嘘』には、嘘をめぐる7つの短編が収められている。何らかの嘘をもとに築かれた関係性が、「嘘ではない」ことによって暴かれていく。7つの短編に登場して嘘をつくことになる人物は皆、それぞれつらい過去や問題を抱えながらも、誠実で、相手と共に幸せになろうとする人がほとんどだ。自分に対して何十年も嘘をついていたり、欲するもののためにとっさに小さな嘘をついたり、相手のために全部を伝えないという「嘘」をついていたりする。

 小説の構造として、最初は読者にも何が嘘なのか分からない。それぞれの夏の物語が進むにつれ、登場人物たちのついた嘘が明らかになっていくのだが、本当のことよりも嘘のほうが、真実や理想やあるべき姿に近いのではないか、と思わせられたりする。考えてみれば嘘というものには、それをつかねばならない、切実な理由や願いが込められているのだ。

「南への旅」にでてくる老女は、4人の子供とその連れあい、また13人の孫に囲まれて誕生日を祝われる。彼女は強固な人生を歩んできたように見える。彼女だけでなく、子や孫たちの人生も確固としている。だがその3代の歴史が、ある小さな嘘を礎に築かれたものであったとしたら、その「嘘」のことをなんと呼べばいいのだろう。

 南への旅という現実によって、数十年の時を経た彼女の嘘はあぶり出されていく。嘘は現実に照らされ、裁かれようとする。だが南への旅は、やがて終わる。

 これからどうなるんだろう、という余韻を残して、どの短編も閉じられる。現実によって暴かれた嘘が、今度は逆に、色を変えた現実を照らし出している。嘘によって浮かび上がった現実は、夏の陽炎(かげろう)のようにゆらゆらと揺らめいている。
コメントを書く
コメントを投稿するには、ログイン(無料会員登録)が必要です。