nijさんのブログ
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TOTO
http://book.asahi.com/reviews/column/2011111400002.html■日米の“便利”の違いに気づいた TOTOで長年、便器とウォシュレットを作ってきた著者が語るトイレ開発の舞台裏である。きったなーいなどといやな顔をするなかれ、トイレの科学はすごかった。 開発に苦労はつきものだけれども、なにしろモノがモノである。その辺の苦労とはわけがちがう。ウォシュレット開発で最初に突き当たった問題がこれ。「肛門の位置はどこか」。社員300人分のコーモンを調べたのだが、嫌がられたのなんの、「いくら同僚でも教えられない」と拒否する人も。気持ち、わかりますなあ。おしりの洗い心地を研究した開発者はトイレにこもって、半年間ズボンの上げ下げばかりやっていたし、便器そのものの洗浄性能チェックでは、本物そっくりの“疑似汚物”まで作った。固形分や油分、粘性分などをあらゆる比率で試したというから(ああ、想像したくない)、その執念に頭を下げるしかない。 日本のトイレはしかし、独自の進化をとげたガラパゴス製品だという。アメリカでは文化の違いか、ウォシュレットの価値がわかってもらえず、販売で苦労したとある。 アメリカと日本では同じ「便利」でも、方向がどこかちがう。どうちがうのかうまく説明できないでいたが、読んでいるうちにああ、と気づいた。アメリカの「便利」は釘打ち機のように作業をとことん簡単にする便利だけれども、日本の「便利」は不快を取り除く便利なのだ。いやな臭いを消す、トイレのふたが自動で開閉する。アメリカ人は至れり尽くせりの日本製品を「そんなサービス必要ある?」と思うし、日本人はゆで卵の自動殻むき器、なんてのを見て「それぐらい手でやれば」と思う。 女性がやるトイレの二度流し、排泄音を聞かれたくないという心理は日本の女性独特のもので、江戸時代すでに音消し装置があったという。排泄は非常に個人的で保守的なものである。トイレはそれぞれの文化の原初の部分が色濃く残っている場所かもしれない。トイレメーカーの人が比較文化論をやったらきっと面白いと思う。http://book.asahi.com/reviews/column/2011111400002.html
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