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第三の道ばぶー
六月の政変の後民主党新政権は豹変した。消費税を上げなくても、日本の財政や堺保障の将来は大丈夫と言っていたけど、無駄をなくす前に消費税を10パーセントにすることがすでに織り込み済みになっているように思える。そこで民主党が言い始めたのが第三の道。なんというか、社会主義国家になりましょう、資本の個人所有よりも共有財産を増やしましょう、というような、うーむ、なんとなく共産主義というかそういう時代になるっぽいのですが、なんというかこれは振り子の振り替えしなんだろうなーと思います。今の時代、個人個人の力(ここでいう力はPOWER、権力とか)がけっこう強くなってきていると思うのですよ。ネットのおかげもあるかもしれないけれど、多くの人が大人になりつつあるのだと思うのですよ。大人っていうのはどいういう人かっていうと、「何かあったときに自分のケツは自分でふける」ってことですよ。おしめがとれてるってことです。ウンチをもらしたときに、親が拭いてくれるんでは、大人とはいえません。でまぁ今まで政府とか国家の役目っていうのはなんだったかっていうと、「安心」を提供するってことでした。この安心っていう定義が個々最近変わってきたんではないかなと思うのです。今まではウンチをもらしてもそれを誰かが拭いてくれるってことで安心していたわけですよ。ところがどっこい、けっこう成長してきて、自分のケツは自分でふけるようになってきた。けっこう、そういう人が増えてきたんだと思うんですよ。そうなると、「安心」とは「自分でキチンとケツが拭ける」ってことになるわけです。なにかあっても自分でキチンとケツを拭く(対処することができる)なら、一丁前の大人だと認めてもらえるはずです。そうならば、安心感というのはなくならない。もし、一丁前のの大人(とりあえず年齢的なハードルを越えている大人)なのに、「安心」を感じることができないとしたら、なんらかの原因で「自分のケツがふけない」からなんだと思うのですよ。「自分のケツをふけない」と不安ですよ。だからその不安の原因はなにかを考えて取り除かないといけない。原因はいろいろ在ると思いますよ。・ケツを拭く紙がない・ケツの拭き方がわからない・ケツの拭き方を忘れた・ケツを拭くスキルがない・ケツを拭くことを知らない・今まで自分でケツを拭いたことがない・ウォシュレットしか使ったことがないのに、それがついていないトイレを利用しなければならなくなった。・ウォシュレットを使えばいいのに水が止められてしまった・ウォシュレットが故障した・そもそもケツを拭く習慣がないのに拭かなきゃいけない気がしている・そもそもケツを拭く必要がないのに、拭かなきゃいけない気がしている・そもそも拭く気がないまぁ人それぞれと思いますが、いろいろな人がいるのに、いつまでも誰かにケツ拭いてもらおうと思うなら、赤ちゃんにもどりなさいという話しです。というわけで、第三の道というのは、自分じゃなにもできない赤ちゃんに戻りなさいってことなんだとしたら、自分は断固拒否です。
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