堅実さんのブログ
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カレーを食べる(6.8.24)10時11分
これも、3,4歳の頃だ。新宅のおばさんが、村の婦人会の集まりで、小学校でカレーを作ったといって、それを、新宅の玄関付近で食べた。
アルミの弁当箱に、残りを持ってきたのだ。黄色の色で、大根と、人参と、じゃがいも、玉ねぎを入れたものだ。
うどん粉をこねて、その中に、缶入りの、粉の「エスビーカレー粉を」入れたものだ。当時の事で肉は無い。この頃は、肉は日常食べたことが無い。村中、誰も、肉を食べなかった時代である。
スプーンで、一口だけ、カレーを食べてみた。変な味だと思った。これが、初めて、カレーを食べた、思い出である。
そして、前の家から、「ラジオ」から「黒百合の花」の歌が、聞こえてきた。この曲は、家でも聞いていた。そして、この歌は、その後、何度も聞いた。
また、この頃は、ベートーベンの「運命」もよく聞いた。戦争で、打ちのめされた日本人に、合っていたのかもしれない、この「運命」は、その後、数年間、ラジオから、時々流れた。
そして今は、この「運命」を聞くことは、ほとんど、無くなって、しまった。
時が流れたことを感じる。もう、戦争は過去の事か。しかし、私には、残っている。
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2件のコメントがあります
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堅実さん2024/8/24 10:51kouboudaisi さんへ「ァルミの弁当箱に、残りを持ってきたのだ。黄色の色で、大根と、人参と、じゃがいも、玉ねぎを入れたものだ。大根の入った肉無しカレーライスという物を食べた事はありません。スープとしてなら良いかもしれませんね。 」当時は、戦後の、物資の無い時代でした。肉は、高級品でした。肉を食べたのは、小学校の給食で、シチューの中に、豚の細切れが、それも、1センチ以下に、切ったものが、2つあればよかった時代です。未だ、この頃は、戦後のムードがかなり、ありました。給食では、アメリカからの援助で、脱脂粉乳の牛乳でした。テシューなどは無く、新聞紙を細かく切ったもので、鼻を、かみました。着ている者は、ぼろぼろの衣服でした。もう、戦争は、こりごりだという、空気が充満した日本でした。紙芝居屋が、自転車で、村に来て、水あめ(ねじりあめと、呼んでました)を買い、紙芝居を見たものです。
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kouboudaisiさん2024/8/24 10:28こんにちは!何時もお世話になっております。>アルミの弁当箱に、残りを持ってきたのだ。黄色の色で、大根と、人参と、じゃがいも、玉ねぎを入れたものだ。大根の入った肉無しカレーライスという物を食べた事はありません。スープとしてなら良いかもしれませんね。