堅実さんのブログ
長崎の鐘 4年8月12日(金)20時51分
長崎の鐘
8月9日の、長崎に原爆が投下された悲劇を、永井隆が執筆した随筆。 内容は、長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井が原爆爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、右側頭動脈切断の重症を負いながら被爆者の救護活動に当たる様を記録したもの。(ウイキより)
クリックすると、ユーチューブが出ます。
https://www.youtube.com/watch?v=g4IZILhYNXA
「長崎の鐘」とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のこと。
(この浦上天主堂は、坂の下から坂の上に建っているのを、ちらと見ました。新婚旅行でしたが、時間が無かったので(ブルートレインの長崎発、東京駅まで)、急いで、タクシーに乗り、長崎駅前で「ちゃんぽん」を食べ、走って乗り込んだ思い出があります。
このブルートレインも、個室で当時でも、飛行機代より、高かったです。タオルと歯磨きの洗面セットが出ました。鉄道フアンには、手に入らない宝物です。もうここは、ブルートレインは、走っておりません。貴重な体験でした。昼頃の長崎発で、東京へは次の日の昼頃着ですか。特別急行と言っても、駅を止まらないだけで、のろのろ運転です。)
映画、『長崎の鐘』(ながさきのかね)は、1950年(昭和25年)9月23日公開の日本映画である。松竹製作・配給。監督は大庭秀雄。モノクロ、スタンダード、94分。これを、見れば、戦争の悲劇がわかる。戦争など、すべきでない。
私の小学生の頃は、まだ、戦争の後が残っていて、農家の防空壕は、どこの家でもありました。その中でよく遊んだものでした。そして、長崎の鐘の音楽は、ラジオからよく流れておりました。ベートーベンの「運命」もよく、聞きました。打ちのめされた日本だったのです。
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堅実さん2022/8/13 19:56コ鉄 さんへ「映画「ほたる」を見て特攻基地跡を訪ねてみました。大好きな映画のひとつです。知覧でしたでしょうか。英霊が祀ってありますね。正面に英霊が天女とともに天にめさめる様を見て、心が痛みました。」そうでしたか。私が行った時は、まだ荒涼とした公園でした。慰霊碑が一つあっただけです。冬の寒さと、誰もいない所で、10分程、たたずみました。こっから、飛び立ったのかと思いながら。
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堅実さん2022/8/13 19:52風車の弥吉 さんへ思い出しました。知覧です。ここの地下に、通信基地があり、そこで、特攻兵との、通信をしたそうです。このことは、NHKの番組ですか。その通信兵が、突撃する最期の、「ぴー」という、発進音が消えた時の事は、今でも、頭にこびりついていて、消えないと言っておりました。戦死ですね。こんな事までして、戦う必要が、あったのか。軍の司令部の、馬鹿さ加減です。そいつらが、戦後、自衛隊の幹部となっていたのです。腹立たしいです。「長崎の鐘といえば、僕の若かったころ、松阪の第一小学校で開催されたNHKのど自慢大会に出場し、見事落選したほろ苦い記憶があります。」これは、残念でした。いい思いでではないですか。
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コ鉄さん2022/8/13 12:36今日は。堅実さん。映画「ほたる」を見て特攻基地跡を訪ねてみました。大好きな映画のひとつです。知覧でしたでしょうか。英霊が祀ってありますね。正面に英霊が天女とともに天にめさめる様を見て、心が痛みました。
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風車の弥吉さん2022/8/13 10:56こんこん。当時九州は、新婚旅行のメッカでしたから。良い思い出を残されましたね。九州には他にいくつかの特高基地がありましたね。現在、鹿屋に「特攻隊戦没者慰霊塔」、出水には「雲の墓標」、知覧には「特攻平和観音堂」、串良・国分基地跡には「基地記念碑」など平和への願いを込めて建てられているそうです。長崎の鐘といえば、僕の若かったころ、松阪の第一小学校で開催されたNHKのど自慢大会に出場し、見事落選したほろ苦い記憶があります。
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堅実さん2022/8/13 09:40堅実です。新婚旅行で、こんなところへ、行くのは、変わりもんですね。浦上天主堂は、どうしても、立ち寄りたかったのです。列車の時間で、わずかでしたが。その他、年末年始で、九州を、7日間回りましたが、特攻の鹿屋ではなく、一寸、忘れしましたが、他の特攻基地の、慰霊碑のある公園に、行きました。誰も、おりませんでした。寂しい場所でした。ここから、出撃したのかと思いました。5分くらいの間でした。その後、ここには、特攻記念館が、出来たと知りました。地下の特攻の通信基地が、有ったとか。特攻が、体当たりする時は、ピーと通信を、出しっぱなしで、それが、消えた時には、最期の時です。何とも、切ないですね。