TPP ニュージーランドは悪いのだろうか‐合意見送り犯人説に疑問‐

著者:叶 芳和
投稿:2015/08/05 12:06

TPP大筋合意が見送りになった。医薬品と酪農品で合意に至らなかったのが原因だ。「頭を冷やせ」という暴言まで飛び出したようだが、果たしてNZは悪いのだろうか。これを機に、日本も酪農輸出国になってはどうか。交渉担当者は「大国」にアグラをかかず、もっと知恵を出して国益を実現してもらいたい。

1、TPP閣僚会合、合意ならず
 ‐比較優位産業の輸出拡大を主張して何が悪いのか‐

「今回が最後」と勢い込んで持たれた米ハワイ州マウイ島でのTPP参加12カ国閣僚会合は合意を得られず、交渉妥結は見送りになった。交渉はかなりの分野で進展したようだが、医薬品のデータ保護期間と、ニュージーランド(NZ)の乳製品輸出拡大で合意できず、大筋合意は見送られた。そのため、合意見送りの犯人にNZを挙げる人がいるようだが、果たして正しいか。

 ニュージーランドは、「羊と乳牛」の国である。最主力産業は酪農であり、農業粗生産額218億NZ㌦のうち(2012/13年度)、牛乳・乳製品が104億NZ㌦を占める(48%)。また、輸出総額に占める酪農製品の割合は32%を占める(2014年)。酪農モノカルチャー型経済と言っても過言ではないくらいだ。したがって、酪農製品の輸出を拡大できなければ、経済成長できない。

 NZの酪農は、草地酪農であるが、技術水準が高く、国際競争力が強い。酪農こそNZの比較優位産業である。各国が酪農品の市場を開放すれば、NZは輸出を通して経済成長できるが、逆に各国が自国酪農の保護に走ればNZは経済成長できない。

 TPP(環太平洋自由貿易協定)の理念は「自由貿易」である。NZがTPPの創設4か国のうちの一つである理由はそこにある。世界が自由貿易になり、農産品の保護貿易が無くなったとき、NZは経済成長できるのである。それに期待して、TPP創設国の一員になったのである。

 しかるに、今回のハワイ閣僚会合では、カナダ、米国、日本は自国酪農の保護のため、乳製品の市場開放を十分に行わなかった。NZは乳製品の関税の大幅引き下げを求めたが、実現しなかった。これではNZは何のためTPPに参加するのか意味が分からなくなる。

 ニュージーランドの比較優位産業は酪農である。日米加が乳製品の市場開放を行わないとすれば、ニュージーランドに対して、「あなたはもう成長しなくてよい」と言っているに等しいのである。これは正義に反する。NZが妥協を拒んだのは正当な理由があったといえよう。人口400万人と国内市場が小さいNZにとって、競争力がある乳製品の輸出拡大は死活問題である。

2、TPPは各国の「経済成長を高める」目的

 TPPは自由貿易を理念としている。人、モノ、カネ、情報が自由に行き交う仕組みを作ることで、世界の経済成長を高めよう。その中で、各国は比較優位商品の輸出を伸ばし、経済成長を高めることができるようにする。これがTPPの目的である。このTPPの目的に照らした時、ニュージーランドの姿勢は「正論」である。

 TPP交渉を評価するに当たり、筆者には二つの規準がある。一つは「例外なき自由化」「100%自由化」は無理で、貿易障壁を残した「聖域」が幾つか残るであろうと言う見通しを当初から持っている。

 「例外なき自由化」は、TPPが当初、4つの小国(ブルネイ、ペルー、ニュージーランド、シンガポール)から始まったときの原則である。例えばシンガポールは農業がなく食料を輸入に依存している。食料は農産物輸出国NZ等から輸入する。農産物の100%輸入自由化は何の問題もない。
 小国の場合、産業構造が比較的シンプルである。上述の例のように、シンガポールは農業がない。サービス産業とハイテク型製造業から成り、比較優位に特化した産業構造だ。食料は輸入に依存しているから、農業国とFTAを締結しても相互に補完しあうだけで、産業調整コストは発生しない。しかし、大国はフルセット型の産業構造が多く、関税障壁等をなくした場合、産業調整コストが発生する。FTA締結は国内に抵抗勢力があり、容易ではない。
 こうしたことから、小国グループのTPPから、米国、日本等大国も参加するTPPに変わるとき、「例外なき自由化」というルールはハードルが高すぎ、そのままの維持は難しくなる。市場統合の程度は低下したものにならざるを得ない(つまり100%自由化は無理)。
 参加国が増えるにしたがって、TPPルールは変質していかざるを得ない。各国に裁量の余地を残し、市場統合の程度が低下するとしても、なお余りある利益が世界にもたらされる場合、それはそれで良いのではないか。現実的解決策だ。筆者は早くから、そういう考えであった。(拙稿「TPP仮説-シナリオB」WEBみんかぶ2012年1月10日掲載、https://money.minkabu.jp/28638)。
 もう一つの規準は、もちろん、「自由貿易原則」である。出来るだけ高度な市場統合を行うことにより(100%に近い高度な自由化)、世界の経済成長を高める。これは重要な原則である。
 このように、「聖域」を認める現実論と「例外なき自由化」という二律背反の二つの規準を置いている筆者でさえ、NZの議論は「正論」に聞こえる。国際交渉は、モノカルチャーに近い産業構造の小国にも経済成長の機会を与えるよう努力が必要なのではないか。
 

3、大国のエゴと政治日程優先が誤算のもと

 もともと、今回のハワイ閣僚会合は厳しい情勢だったのではないか。最後の土壇場でNZが反対したからだと言う見方があるが、果たしてそうであろうか。

 7月中旬、12カ国主席交渉官会合の前、2国間実務者協議が行われている段階で、シンガポールの新聞などは先行きについて厳しい見方をしていた。南方に位置しているので、新薬のデータ保護期間を重視する豪州、酪農品輸出の拡大を目指すNZの姿勢を反映していたのであろう。しかし、その頃、日本の報道は「これが最後」と楽観的な報道が多かった。日本のマスコミは政府官邸筋が流す根拠のない楽観論に影響されすぎていたのではないのか。

 米国は2016年の大統領選挙があるので、それが本格化する前、今秋にもTPP協定に署名、批准を目指すには、8月が大筋合意のタイムリミットと言われてきた。日本も、来夏の参議院選挙での農業票の離反を避けるため、今秋の臨時国会で法案処理を行い、来年の通常国会ではTPPを巡る攻防は避けたかった。それ以上に、安倍総理側は9月の自民党総裁選に対立候補の出現を招かないよう誇示できる実績作りを急ぎたいからだと言う見方もある。日米とも政治日程が優先し、根拠のない希望的観測に走っていたのではないか。

 7月中旬の段階で、日本政府内で「カナダ外し」論が浮上していた。乳製品の関税交渉が遅れているカナダやNZを外して合意するシナリオである(7月15日付け日経朝刊ほか)。これも、各国の経済成長を高めると言うTPPの目的を忘れ、自国の政治日程を優先した考えから出たものであろう。
 フロマン米通商代表より、日本のほうが、政治日程を気にして焦っているようである。「もう一度、会合が開かれればすべてが決着する」として8月下旬の閣僚会合を目指したい日本に対し、フロマン代表は記者会見で次回の閣僚会合について聞かれ「はっきり決まっていない」と述べた(日経8月2日付け3面)。「会見直前には次の閣僚会合の日取りを決めるよう迫る甘利氏に対し、フロマン氏は慎重だった。「次の失敗」は許されないためだ」(朝日2日付け2面)。日本側の焦りを感じる。
 先にも触れたように、 TPPは小国の集まりから始まった。原始加盟国はブルネイ、ペルー、ニュージーランド、シンガポールの4か国(P4)である(2006年発効)。2009年11月に米国オバマ大統領が関与を表明して以来、広く関心を集め、現在、米国、日本を加えた12か国で交渉が続いている。当初からの参加国であるNZを外して妥結に持ち込もうなどと言うのは、大国のエゴであり、礼を欠いた姿勢ではないか。自国の政治日程を優先し、一方、保護主義を堅持(国会決議に縛られ)する交渉態度では、世界の共感を得られず、失敗するのではないか。

4、日本はキャスチングボードを握れる

 日本は、新薬の開発データ保護期間問題では豪州、NZに近い立場を取り得る。実際、米国が12年、豪州、マレーシア等が5年を主張し対立しているが、日本は妥協案として8年を提案しているようだ。医薬品産業は技術進歩が速いので、仮にデータ保護期間が10年未満になったからと言って、製薬メーカーが開発努力を放棄することはあるまい。日本の妥協案は理にかなっている。米国は自国の製薬会社の利益を守りたいだけであって、自国優先の姿勢が強すぎる。
 
 さて、乳製品で妥協案を出せれば、日本はTPP交渉の早期妥結に貢献できる。表1は日本の酪農産業の指標である。乳製品の輸入拡大は確かに厳しい情勢である。1990年代以降の動きを観察すると、酪農戸数は大きく減少した(6万戸から1万8000戸へ)。生乳生産量も減っているが、酪農戸数ほどの減少ではない。規模拡大(経産牛21頭→48頭)と、技術進歩による1頭当たり産乳量の増大(6,380kg/頭→8,200kg)があったからだ。構造改革が進展している。最近は、1000頭、2000頭という巨大経営のメガファーム、ギガファームも出現している。

★表1 日本の酪農業の指標

 生産量の減少は、牛乳の消費量が減っているからであり、乳製品は増加気味である。この1年、バター不足が騒がれている。スーパーの棚からバターが消え、価格も上昇している。緊急輸入でしのいでいる状況である。これは輸入飼料に依存している日本の酪農はアベノミクス円安の影響もあって、酪農が本業では儲からなくなっているからである(拙稿「乳量神話にサヨナラし、もうかる酪農の実現を」『デーリィマン』2015年8月号参照)。

◇日本酪農の輸出産業化
 さて、日本の酪農も、輸出産業に転じて、発展の道を模索できないであろうか。表1に見るように、現状は衰退方向である。出発点である生乳生産自体が減少過程にある以上、原料不足であり、乳製品は輸入に依存する方向に傾いている。

 発想を変えて、もっと輸入を増やす。日本はその輸入原料を使って付加価値を高めてアジア諸国に輸出する。隣りの中国は「食の安全」問題で騒いでいる。日本の安全、安心、美味しい食品への需要は高く、特に赤ちゃん用の粉ミルクは一番欲しがられている。日本に「爆買い」に来る観光客の中には乳児用粉ミルクを買って帰る人たちも多い。

 日本は原料不足気味になっている。酪農製品の原料を入―ジーランドから輸入し、付加価値を付けて輸出する。国産の生乳を輸出用粉ミルクの原料に回してもいい。発想を変え、仕組みを変えれば、日本は酪農品の輸出国になれる道はあるのではないか。競争相手はNZである。最先端技術を使って、NZ以上に高品質なものを供給しなければならない。日本酪農の新しい発展戦略である。この道はTPP交渉に関係なく、模索する価値がある。

 国内改革を進めずして、自由貿易のメリットを享受することはできない。逆に国内の改革を進めれば、日本はTPP交渉でキャスチングボードを握れる。世界の自由貿易の流れを創り出す国になれる。貿易立国を国是とする日本は、長期的に見れば、そこにこそ発展の道があるのではないか。
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 TPP交渉を「漂流させない」という決意を、日米両国は共有しているのだろうか。懸念もある。米国は中国との貿易から得る利益が大きい。中国市場へのアクセスを高める戦略を常に模索しているはずだ。筆者は以前、米中主導の「ニューTPP」のシナリオを書いたことがある(前出、拙稿「TPP仮説‐シナリオB」)。今回、TPP交渉が漂流することになれば、事態は米中主導の「ニューTPP」に移っていくこともあり得る。杞憂に終わるであろうか。

配信元: みんかぶ株式コラム