どうも、気分がすぐれないので、気まぐれブログ。新撰組は、負けると、分かっていて、何故戦ったのか。何故に、死に場所を求めた近藤勇か。これは、時々、思う事である。
あゝ新撰組 COVER
https://www.youtube.com/watch?v=f6czpvK08Gg
百姓出身の近藤は、何故、新撰組を結成したのか。言うまでもなく、新撰組を有名にしたのは「池田屋」事件である。この時は、近藤は4人で、乗り込んだというのが真実らしい。別の隊は4人で、遅れて、駆け付けた。その時には、ほとんど、騒動は、収まっていたというから、近藤の気迫は、凄まじいものだったろう。この時は、坂本竜馬は運よく、逃げ延びた。
この池田屋には、私も一度、行ってみた。映画にあるような、大きな、旅籠ではなく、ほんの、小さな、旅籠だった。階段の途中の柱に、その時の刀傷があった。
こんな事だから、皇軍は、近藤を許すはずがない。捉えて、打ち首にして、更に、さらし首にした。
行動の美学という。芥川龍之介の、弟子。三島由紀夫。ノーベル賞候補にもなった人です。この人は、武士は割腹することこそ、最大の武士の美学だと思い、実際に、市ケ谷の自衛隊の駐屯地で、割腹自殺している。大儀のために、死ぬことこそ、武士の最高の誉と、考えていたらしい。武士の死に方は「葉隠れ」という考えで、伝えられている。現代人には、理解できないところである。ふっと、思うことがある。もしかしたら、私も死に場所を求めているのかと。