日本語の源流は、東北弁だという説

元祖SHINSHINさん
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著者は、松本清張「砂の器」を例にとって、そう力説するのであった。
秋田県の亀田と、出雲の亀嵩(カメダケ)がともにズーズー弁を話しているというのが、「砂の器」のトリックになっている。この著者はその他にも、沖縄がズーズー弁なのだという。

★「日本語教室」
  井上ひさし著 新潮新書 2011.3.20.発行 2019.3.30.18刷

それには訳があって、まずこのように日本の周辺に東北弁が存在しているというところから、井上ひさしの推理が働いていく。冗談も交えた、この推理がオモロイだけでなく、説得力があって読ませる。細かく書くとネタバレになるから、興味のあるヒトは読んでみてください。

また、日本語には文法がないと、著者は言い切っている。これも、読んでいるウチに煙に巻かれるように、納得してしまう。

大江健三郎が語った「あいまいな日本の私」、大江がそう言った狙いを説明しながら、著者に「だから日本語には文法がない」と、説得されてしまうのだった。

他国言語と日本語とを比較しながら、日本語について考察していき、「そーだったのか」と思わせられる知見で充ち満ちている。日本語を知ろうとするとき、日本語で考えてはいけないというのが、言語学者の通説だという。日本語に似た言語を研究して、日本語について考えた方が、正しい理解に近づくのだという。その昔は、南方の言語が研究されたが手詰まりになり、今では北方の言語を研究するのが定番になっているという。

日本語のアクセントについて考察されているところも、オモロイ。
オモロイことばっかり書いてあるから、読んでいて切りがない。




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