あの当時、結果だけ見て、その経過というものには無頓着だった。
結果だけ見たとき、被害者だけでなく、末端の信者もたまったもんじゃないと、そんな風に感じたが。
著者の島田は、当時、書いた記事が元でオウムシンパと思われて叩かれたというが、オイラはその記事を知らないので、なんの先入観もなく島田の書籍を読んでみた。
教祖のたどってきた道のりが、わかりやすく描かれており、それが途中からおかしくなっていくという課程が描かれていた。
途上、仏教やヨガについての基本的な事項についても記述があり、後にすぐ忘れてしまうにせよ、読んでいてなるほどと思う。
しかし、結局のところ、一般的な組織として俯瞰したとき、オウムの問題は宗教に関わりなく誰にでも起こりえる問題として、提起されている。
昨今の企業不祥事にはじまり、オイラの場合には、政治家・極道・公務員・警察官・大企業が歩調を合わせたIT談合に遭遇したのだから、人ごとではない。一体この問題と、オウム真理教の問題と、どこが違うというのか?
突き詰めて考えれば考えるほど、オウム問題は人ごとでは済まないことが理解できるだろう。
★「オウムは再び現れる」
島田裕己著 中公新書クラレ 2018.12.10.発行
一方で、読後感として感じるのだが、純粋に、己の内心に生じた信念というものが正しいと信じた瞬間に、「思想の違い=殺し合い」という短絡的な末路にたどり着きやすいという、歴史上、誰がみても明らかな問題に行き着いてしまう。そんな怖さも感じた。