「やっぱり、そうじゃないかと思ったの」と、スナック門のママは言った。
実は、妙な夢を視たというのだ。金曜日か土曜日の晩だという。大御所が他界したのは4/13、土曜日の未明だ。
どんな夢なのか尋ねると、
オイラの大御所が他界して、火葬場でオイラがどういうわけかドライフラワーを手にしていた夢だという。普通は、生花でないとイケナイとされている。常識外れという意味でも象徴した夢なのだろうか?
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このように4/15の晩は、スナック門で飲んでいた。
日本では、家族の遺体が自宅にあるうちに、そそくさと飲みに行ってしまうというのは些か非常識と思われるので、そのことを象徴した夢なのかもしれない。でも、考え方を改めて、ブラジルのように明るく送り出すという観点から見ると、これが常識になる。
そーいえば、4/13、14、15と予定通りに仕事に行っていた。他界した日が土曜日だと、役所もどこも開いていないので休んでも仕方がない。また、火葬場が混んでいて、火葬できるのが4/18というのも絡んだ。
職場の規定では 5日間休みがもらえるが、たまたま元の予定が16、17と連休になっていた。そこで、18、19と二日間忌引き休暇をもらって、残りの三日分は49日後の埋骨の時にもらうことにした。このようにすると、職場の予定がほとんど狂わないで済むことにもなるので、職場にもオイラにも互いにメリットが最大になる。
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スナック門のママと話していると、いろいろな気づきがあった。
まず、基本的な家事をこなせるようになったこと。オイラのようなギャンブラー兼飲んだくれにとって、これは奇跡だ。それと、知らず知らず死の当日に介護用品の撤去をお願いしており、あまりにもタイミングが良すぎて驚く。また、大御所は入院前に、もうこれで最期だからとしばしば口にしていた。大御所はとても勘のイイ人で、オイラの予想を覆していつも大御所の勘が当たる。その死に方も、あまりにも鮮やかだったので、スナック門のママは自分もそーいう死に方がイイと羨ましがっていた。
少なくともこの一年を振り返ると、知らず知らず導かれているように感じる。死なないヒトはこの世にいないのだからと考え方を少し変えるだけで、哀しみよりも充実感に満ちてくる。オイラの良心は、強く満足している。己に嘘をついても仕方がない。ホントウに満足している。それは、義経公の経験できなかったことができたという満足なのかもしれない。