ザックリいうと、ドタバタ活劇小説。
主人公のジョー・ブレディーは、マフィアの親分ジオ・カプリッシと同級生で、その親分の経営するストリップ劇場で用心棒をしている。
ふとしたきっかけで、様々なトラブルに巻き込まれるが、
凄腕ジョーはなんとか問題を解決しながら、最終的にはテロリストと対決し、ヒーローになって終わる。
★「用心棒」
デイヴィッド・ゴードン著 早川書房 2018.10.15.発行
つまらなくはなかったが、かといって、傑作というわけでもない。
過去の作品を読んだことのある人は、物足りなさを感じるのではないか。
でもこれは、仕方のないことだと思われる。そんなにオモロイものばっかり書ける作家なんて、いないのだから。
それでもオモロイと思ったのは、これが作者の思想とは限らないのだが、
作中後半の地の文で、米国に対する政治的発言があるところではないか。
かなり米国民主党的な思想が書かれており、意味深でもある。
それと、登場人物がすごく多いのだけど、それでも読ませてしまうところは腕がイイ証拠なのではないか。ドストエフスキーだったら、こういう風にわかりやすく書けないに違いない。
そうそう、序盤で名前のない刑務所が出てくるのだが、
「二流小説家」みたいに、それがシンシン刑務所だったら、笑えたのに。
(オイラだけだけど)
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デイヴィッド・ゴードンが動の小説だとすると、対照的な静の小説が「あの家に暮らす四人の女」。
作中、カラスがしゃべったとしても、また、死人が語ったとしても怒らない人だったら、読んで楽しいと思われる。
★「あの家で暮らす四人の女」
三浦しをん著 中公文庫 2018.6.25.発行
デイヴィッドがドストエフスキーの作品を小品として使っているが、
三浦は三島由紀夫を使っている。
注文を言えば、デイヴィッドも三浦も、もっとその小品にたいする蘊蓄を、作中でぶちまけて欲しかった。
作家志望の人は、この両作品を読み比べて、動的小説と静的小説のちがいを改めて考えてみるのもオモロイのではないか。
オイラからみると今回は、三浦しをんの作品の方が、設定の妙があってオモロイのではないかと感じたが。
皆さんは、どーでしょう?