これがなかなか通な作品を書いた。
彼の調査によると、三島も川端も、
あの超有名な作品が、実は私小説なのだという。
★「純文学とは何か」
小谷野敦著 中公新書クラレ 2017.11.10.発行
完全な仮想なのか、実体験に基づいたものなのか、
はたまたどこぞの他人の体験に基づいたものなのか、
によって、いろいろ作品は書かれるのだろう。
ときに、それが刃傷沙汰に及ぶこともあるのだが、
やはり、実体験に基づいた話というのは、
人を惹きつける、少しばかり醜悪めいた香りのする魅力があるのは、確かだ。
小谷野のこの作品を読むと、
なにしろ、私小説大好きな著者なことも手伝って、
これはというオモロイ体験をしたことのある人たちに、
「ちょっと書いてみようかな」という、多大な好奇心をあおり立てるに違いない。
川端の私小説だという超有名な作品を、
「これなら、書ける」と思い立った瞬間の描写というのは、
これから書いてみたいという人たちに勇気を与えるに違いない。
宮原輝男も「書く人はここで躓く!」で書いていたが、
「事実に優る材料はない」というのは、何にもまして優先されるべき、
揺るがない事実なようだ。
川上弘美が書いていた、
「だから、小説にするんでしょう」というヘルプ的な文言は、
実は、このことに絡んで通じる表現なのかもしれない。
あまりにもホントウのことは、ノンフクションにできない、ことがある。
オイラが通勤途上で通りかかる海老名インターチェンジ前交差点を、
川上弘美は、某短編小説で書いていた。
何しろ毎日通る場所なのだから、
その発言を忘れることはないし、思いださないわけがない。