いちおう型があるので、それに従えば明らかに明喩に思える比喩であっても、
実はなかなか奥の広い世界であって、
作者の意図したものや、逆に評論家や読者の解釈によって、
それが隠喩に変わる場合があるようだ。
あるいは、境界型と思える表現もあると。
なので、オイラがいつしか書いた明喩に見える隠喩のつもりで書いた比喩を、
「それは明喩」
などといって責め立て、
何だか知らないけど異様に売れている小説家が、
それを作品の中で書きやがったとしてもだね、
(ニャロメ!)
「みろ、瀬戸先生にいわせれば、やっぱり、隠喩だっちゅーの」
ということがありえるようだ。
えっへん。。
ところで、
瀬戸賢一が書籍で引用している、
故・井上ひさしの「吉里吉里人」にド下手くそな明喩があるのだが。
それこそ、オイラが真面目にメタファーだと思って書いたような明喩のオンパレード。
もちろん、彼はプロなのだから、
わざと下手くそに書いている。
しかし、その下手くそさは絶妙なもので、
本当に惚れ惚れするくらい見事なものだ。
★「日本語のレトリック」
瀬戸賢一著 岩波ジュニア新書 2017.5.25.第20刷