その処女作の序盤と後半の書き方が
ガラッと変わっていて、
こりゃ-、プロの手が入って書き直したんだなぁ、
と明らかにわかってしまう作品があった。
この場合には、同じテキストを書き換えたわけではないので、
具体的にどこがどう変わったのか、
判然としないところがある。
けれども少し気の利いた読者には、まったく別物になっていると感じる。
これを判然とさせるには、
やはり元になるダメダメテキストが存在していて、
それを書き換える方法を採用すると、
それは小説教室やハウツーもの書籍になってオモロイと思う。
問題なのは、
じゃぁ、そのダメダメテキストをどれにするのかということ。
素人の作品がダメなのは明らかだし、
なにかそーいうのをボツ原稿などから探せばイイのだけれど、
もうひとつ、すでに没しているプロ作家の作品を元テキストにするのも、
とてもスリリングでオモロイと思う。・・・・・①
後者の作品として、
オイラは、トマス・ウォルシュの書いた「マンハッタンの悪夢」を推薦する。
この作品の文体は、オイラの好みな削った削った文章。
なのに、それはもう、本当にダメな作品になっている。
この作品を書き換えて改めて作品になるとしたら、
第一人者は北方謙三親分だと思われる。
第一段階は、
とにかく文章を単純に少しでもマシになるように書き換えてみる。
第二段階は、
プロットをかえてもOKにしてみる。
第三段階は、
文体をかえてもOKにしてみる。
小説教室だったら
こういう手法を課題にしても、
実りが大きいものになるのではないか?
また、今どきは人工知能で小説を書くという試みも生じているので、
そういう一派にとっても、
「どーしてこの作品はダメダメなのか」
分析することは、相当に有益だろう。
*
もしも①の様な研究が進み出すとすると、
オモロイことに、
過去の作品の中で「ダメダメ小説」ほど、
古本業界で人気が出るという現象が起きるかもしれない。
なんということだろう。