に行ったのが始まりでした。
天王山で破れた明智光秀は、近江の坂本城へ向けて逃げる途中、小栗栖で農民に襲われます。
家来が言いつけに従って光秀の首を持って知恩院に向かいますが、夜が明けたため、
やむをえず、その首を埋めたのが「明智光秀の塚」と「光秀饅頭」 (京都市東山区)。
先日ひょんなことから、明智光秀の肖像画を有する寺院を知りました。
しかも、普段一般公開をしていないようなので、応募して行って来ました

本徳寺は明智光秀の長男と伝えられる、南国梵桂(なんごくぼんき)が開基したと伝えられてる、
京都にある臨済宗妙心寺派大本山妙心寺の末寺

明智光秀=南光坊天海説、疱瘡(ほうそう)にかかった煕子を予定通り正妻に迎えた話、
京都市右京区にある妙心寺の「明智風呂」の話などをして頂きました

本物の肖像画は残念ながら現在お寺にはなかったのですが(今年は蒸し暑かったからなあ

レプリカを拝見させて頂きました。
許可を頂き、肖像画とお位牌の写真を撮りましたが、
お位牌が上手く撮れない

「敗走中と言えど、至近距離で農民に竹やりで刺されて死ぬなんてことはないでしょう。」と
和尚さんが他の参加者としゃべっているのが聞こえました。
もしかして、私は大事なお話を聞き損ねたのかしらん

これも一期一会ですね

そういえば、明智光秀って歴史ファンの間では大人気みたいですね。
京都府亀岡市では、光秀を大河ドラマの主人公実現化の活動されていたのを思い出しました

心しらぬ 人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ名をも惜まじ