高橋源一郎がオモロイと言っていた作品を、
藤沢で偶然に立ち寄った、ハマギン隣にある古書店「太虚堂」でみつけた。
★「文学部唯野教授」
筒井康隆著 岩波現代文庫 2001.1.10.第3刷
主にフランス思想と伴に変遷してきた文芸批評の流れや考え方について、
大学教授が講義の中でオモロク説明しており、
それを大学文学部の醜い裏面を暴きながら語っていくという。
ひょっとして、現政権が文学部系学部に辛くあたっているのは、
この作品の影響があるのかもしれない。
この書籍を読んでみて、
少し前に疑問に思っていたロシア・フォルマリズムについての知見が得られたり、
また、最近ハマっている桜庭一樹の作品に見られる、
たとえば「でっぷりとした尻」のような表現についての、
新しい見地が得られたのは嬉しい。
それは、タイトルにした「言葉の異化作用」と関連があると思われる。
筒井康隆は、この「言葉の異化作用」について、
ヤクザの語り方を例にとっていた。
ヤクザの語り方といえば、
大岡昇平「野火」で、確かに軍隊内部の語り口がそうであり、
それは「あしたのジョー」における矢吹ジョーの語り口からも想像できるように、
そうした「言葉の異化作用」には、不思議な萌えを読者にもたらす効果がある。
この変形が、桜庭一樹の作品に見られる「言葉の異化作用」なのだと、
オイラは確信するようになった。
最近読んだ桜庭作品では、
「青年のための読書クラブ」というのに、
桜庭流の「言葉の異化作用」が登場している。
桜庭の場合には、筒井の言うような新しい詩的ともいえる斬新な表現を使用しているわけではない。
あくまでも、それまで流れてきているコンテキストの中で、
「あれ?」と思わせるような表現を紛れ込ませて、
読者を不思議な萌えに誘い込む、というものだ。
同作品では、冒頭24ページに出て来る「ズベ公」という表現がそれにあたる。
その表現を目にした途端に、かるい笑いに誘われて、
次にやってくるのは「そんな表現しちゃいますかっ!」という驚き、
その後に読者を襲ってくるのは、桜庭一樹という作家の摩訶不思議な魅力そのもの、なのである。
当然ながら、
桜庭一樹はそういう表現を自然に書いている風を装って、
確実にその効果を狙って確信犯的に書いている。
これはもう、間違いようのない事実なのだ。
更に、桜庭一樹はプロットに命をかけるところのある作家であり、
「青年のための読書クラブ」においても、
それは遺憾なく発揮されていて、唸ってしまうほどだ。
★「青年のための読書クラブ」
桜庭一樹著 新潮文庫 438円+税 H23.7.1.発行
オイラはこれから、桜庭の「赤×ピンク」を読み始めるところだ。
彼女の、いや彼の作品を読み尽くさない限り、
オイラの平安は当分やってこないのだ。