が、ホントウはあったはずなんだという。
ところが、世に知られている「カラマーゾフの兄弟」を書き終わった後、
ドストエフキーは他界してしまったと。
読んでみて、よかった。
この小説に出て来る人物や事件には、材料があったこと。
各人物の語る思想には、ドストエフスキーの本心が多く語られていること。
神の存在を誰にも証明することはできないように、
事件の真相も、必ず裁判で明らかになるわけではないこと。
語り手は、どうやらドストエフスキーらしいが、
たまに一行程度、語り手が冗談を言っていること。
「これ以上、細かく書いてたら、小説が終わんなくなっちゃうからな」みたいな意味の。
これって、「これ以上、文章削っちゃったら、何にもなくなっちゃうからな」
と言った、北方謙三親分の発言に似ている。
エピローグでのアレクセイの会話部分は、
作中でアレクセイを取り巻いているこどもの一人に、
自分がなっているかのような錯覚を覚えた。
将来、どんな悪党になったとしても、
こどもの頃に経験する美しい思い出がひとつでもあれば、
その時に存在していた自分の良心を、思い出すことができる。
そんなアレクセイの諭しに、素直になっている自分を発見した。
オイラは、長男のミーチャに似た凶暴性を持っているので、
アレクセイの諭しには素直にならないといけない。
何か凶悪なことを考えてしまっている時には、
18の頃に体験した神社での不思議な暖かい光を、
思い出さないといけない。
それから、リスクを顧みず、
オイラみたいな人間を小説の材料にしてしまった作家たちのことを、
思い出さないといけない。
ドストエフスキーは、実の父親を農奴に殺された。
そのときにてんかんを発症し、それでもそのときから民衆を愛するようになったらしい。
この実の父親が、カラマーゾフ家の父親になった。
ドストエフスキーの思想を知るには、
「作家の日記」というのを読むとイイらしい。
是非、そうしたい。
オイラの嗅覚通り、
ドストエフスキーはエリック・クラプトンのように、魅力ある人間だ。