「カラマーゾフの兄弟」は、1879年に「ロシア報知」に掲載され、
1880年に単行本として発行されたと、ウィキに書いてあった。
また、ロシア正教会により、「カラマーゾフの兄弟」は高くその内容を評価されているという。
新潮文庫の原卓也訳による3巻セット・上巻の終盤部分で、
無神論者・次男イワンと修行僧・三男アレクセイによる会話の中で、
宗教論争が描かれているが、
そこでフリーメーソン、バチカン、アンチキリスト概念が登場している。
現代でもその筋の人びとによる話を聴くと、
必ず上記のアンチキリスト概念が含まれている。
また、修行僧の身分であるアレクセイは、
世間にはそうしたアンチキリスト概念の存在があると、
ロシア正教会・上部層が話しているのを聴いたことがあるという。
「神が存在しなければ、何をしても罪にならない」
というアンチキリスト概念は、
ただちに現代のおいても通用しているとしか思えない。
次男イワンによれば、
バチカンはキリストを崇めるそぶりをみせながら、
その心中ではキリストを冒涜しているのであり、
キリストを利用して信者を集め、彼らをだまし、
実は悪魔崇拝をしているのだという。
こうした錯綜したロジックは、
現代でも色々な組織や場面において利用され、またそうではないかと疑われることだろう。
口で言っていることと、やっていることがまるで違うような場合がそうだし、
スパイ映画でも、こういうロジックはしょっちゅう出てくる。
詐欺師も、そうしたロジックを利用している代表選手だ。
なるほど、
「カラマーゾフの兄弟」は現代でもひきずっているテーマを有した作品だというのは、
この一部分だけをみても、真実なようだ。
ということは、
オイラが書こうとしている私小説も、
そうしたテーマを延長した問題であると、少なくとも言ってもよさそうだ。
「INRI」という立ち位置から、書くつもり。