なんだけど、村上春樹が4回も読み返したっていうので、
前々から気になっていた。
なんでも、あんなに古くに書かれた小説なのに、
現代にも通じる問題を多くはらんでいるのだという。
新潮文庫の原卓也訳で3巻セット、もう1年ほど積ん読状態。
何度か読みかけるものの他の書籍に興味が移ったりして、すぐに挫折してしまう。
ところがこのあいだ新聞の文学欄にて、
ある女流詩人がやはり、読み始めてすぐに挫折してしまったのだという。
天の邪鬼なオイラは、じゃぁ読んでやろうじゃないかってんで、
もうすぐ上巻を読み終わる。
振り返ってみると、上巻の中盤まで読み進めることができれば、
あとはすんなり読みこなせそうな気がしてくる。
では、どうして多くの人が「カラマーゾフの兄弟」をすぐに挫折するのかというと、
登場人物が多いので、人物関係を掴むのに苦労して、
読む気が失せるのが最大の原因だと思われる。
ドストエフスキーは、あらかじめそういう読者が多いのを懸念したのであろう、
冒頭に数ページの「作者の言葉」というのを挿入している。
真面目な作家から見れば、こんなの反則だというのかも知れない。
でも恐らく、ドストエフスキーは複雑な人物関係を少しでも把握しやすくするために、
敢えて「作者の言葉」というのを挿入したのだと思う。
そんなわけで、「作者の言葉」のすぐ後ろには、
「第一篇 ある家族の歴史」という章をもうけて、
さらに人物関係のあらましを整理してみせる。
真面目な作家から見れば、こんなのホントウに反則だというのかも知れない。
それでもオイラには、ドストエフスキーは親切な作家に思える。
人物関係の把握さえできてしまえば、
読む気が失せることもない。
上巻では、主人公のアレクセイが、
若いころのエリック・クラプトンのようなしょーもない父親と、
しょーもない長男との争いごとに巻き込まれていく序盤が描かれている。
アレクセイは見習いの修行僧で、
とあるロシアのキリスト教会に奉仕している身だ。
てんかん持ちで、神秘体験も豊富だったドストエフスキーは、
宗教問題に詳しいので、
教会の中で持ち上がる宗教論争など、読んでいてオモロイ。
どーにもつまらないリアリストな脳科学者オリバー・サックスによれば、
ドストエフスキーの神秘体験はてんかん発作に起因すると、
どーにもつまらない常識的な判断をしている。
ドストエフスキーは、冗談の通用しない、
短気でクソ真面目な男だったらしい。
作品以前に、そういうオモロイ・エピソードをたくさんもっている
ドストエフスキーに、オイラはすでに惹かれている。
エリック・クラプトンと同じくその作品に触れれば、
きっとオイラを魅了してくれるのだろう。