泉を見下す高見に我々は隠れた。
三日目の夕方、遠く安田の泣くような声を聞いた。
「永松、田村」と声は呼んでいた。
「おーい。出て来い。俺が悪かった。仲良くやっていこうじゃねえか。火もあるぞ」
「火ぐれえ、こっちにだってあらあ」と永松は自分の飯盒に貯えた、小さな懊を吹きながらいった。
「出て来い。煙草もみんなやるぞ」
「いやだ。もうお情けは沢山だ。手前をやっつけて、捲き上げてやる」
「出て来い。俺がここに煙草持ってると思うと、大間違いだぞ。
いいとこへ、ちゃんとしまってあるんだ。仲良くしよう」
「畜生、なんて悪賢い野郎だ」永松は歯ぎしりした。
遂に声は止んだ。
ただ草を匍う音が近づき、泉の向うの崖の上に、頭が現れた。
暫くそうしてじっとしていたが、不意に、全身を現わし、滑り降りた。
永松の銃は土にもたせて、そこへ標準をつけてあった。
銃声と供に、安田の体はひくっと動いて、そのままになった。
永松が飛び出した。
素早く蛮刀で、手首と足首を打ち落とした。
怖しいのは、すべてこれ等の細目を、私が予期していたことであった。
まだあたたかい桜色の肉を前に、私はただ吐いていた。
空の胃から黄色い液だけが出た。
もしこの時既に、神が私の体を変えていたのであれば、神に栄えあれ。
私は怒りを感じた。
もし人間がその飢えの果てに、互いに食い合うのが必然であるならば、
この世は神の怒りの跡にすぎない。
そしてもし、この時、私が吐き怒ることが出来るとすれば、私はもう人間ではない。
天使である。
私は神の怒りを代行しなければならぬ。
私は立ち上がり、自然を超えた力に導かれて、林の中を駈けて行った。
泉を見下ろす高みまで、永松が安田を撃った銃を、取りに行った。
永松の声が迫って来た。
「待て、田村。よせ、わかった、わかった」
新しい自然の活力を得た彼の足は、私の足より早いようであった。
私は辛うじて、一歩の差で、彼が不注意にそこへおき忘れた銃へ行き着いた。
永松は赤い口を開けて笑いながら、私の差し向けた銃口を握った。
しかし遅かった。
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★「野火」
大岡昇平著 新潮文庫 400円+税 H26.11.20.109刷 P.189~190より抜粋
フィリピンで敗残兵となった日本軍兵士は、
米軍の度重なる駆逐作戦により食料もままならず、少しずつ死んでいった。
フィリピン現地人によるゲリラに襲われて死ぬものもいた。
大岡昇平と思われる田村は、自身の知略と、不思議な縁に救われながら生きながらえていた。
この話は、「俘虜記」にて捕虜になる直前の行動を描いたものだ。
オイラには、「野火」の方が好みだ。
安田を親分にして、永松は彼に従って生きながらえてきた。
永松は生きた日本兵を殺して食料にしており、
田村も一度は永松に狙われるが、過去の縁があり、運良く見逃してもらえたのだった。
要所に描かれている自然描写などの言葉は堅いが、
その堅さが却って、著者の知的な魅力を醸しだしているように思えて、
オイラは萌える。
途中に出てくる、教会の描写が特に萌える。
そこには、現地人ゲリラに逆襲されて死んだ日本兵が複数、折り重なって殺されていた。
知的な著述の中にはさみこまれている日本兵のヤクザっぽい会話も、
これまた萌えさせてくれる。
「野火」には、「あしたのジョー」とは少し違った角度の萌えがあると思う。
PS:大岡昇平は、小林秀雄から戦時体験を書けと言われた。
この作品は、当時から戦争に対して懐疑的であった兵隊の存在を証明している。
戦争は、資本家による欲望の結果にすぎないと、ところどころで著者は意思表明している。
オイラは「木屋」で出会った児玉系右翼の元金庫番と語り合った。
そーとわかっていても死んでいった悲惨な兵隊のために、靖国神社はあるのだと。
それ以上でも以下でもないのであって。
それを、徴兵に従わないものは死刑だなどという政治家は、大きくピントがずれている。
どういう感性をしているのであろうか。