翌日、眠気で半分閉じた目でカードを整理しているうちに、
気付けば──ずっと以前にヒューが教えてくれたように──Sの項目を探していた。
長い引き出しの中で親指を滑らせ、
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の原稿を送った出版社の記録を探す。
やがて、みつかった。
一枚のピンクのカードだ。毎日ボスのためにタイプしているカードと同じだった。
すべての出版社の名前があらかじめ印刷されている。
(略)
ところが、『キャッチャー』のカードは白紙に近かった。
原稿はひとりの編集者に送られたあと、数ヶ月後にリトル・ブラウン社に送られていた。
先に送付した編集者は最終的に却下したのだ。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』をボツにした誰かがいた。
**********************************************
★「サリンジャーと過ごした日々」
ジョアンナ・ラコフ著 井上里訳 柏書房 2,200円+税 2015.4.10.第1刷発行
P.322より抜粋
ジョアンナ・ラコフが作家になる前、出版エージェントに勤めていた頃の話。
色々な作家から持ち込まれる作品を読み込んで、
どの出版社に売り込めばいいのか算段し、細かい契約も代行する仕事だ。
少しだけ創作が入っているそうだが、ほぼ実際の話をまとめたという。
サリンジャーが、かなり神経質な作家に描かれている。
ファンからの手紙をエージェントがいったん受け取って、
取り次ぎ不能な旨ファンに定型文書を送るのもジョアンナの仕事だった。
だが、ジョアンナはある日を堺に、
ファンの思いに負けて、ルールを破り自身で手紙を書いて送付するようになる。
そんな下りの中で、サリンジャーの作風がとうとうと語られ、
読んだことのない読者にも興味をそそらせる構成になっている。
また、読んだことがあっても、読みとれなかったところを知ることになる。
『フラニーとズーイ』の方が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』より数段イイと、
村上春樹訳でオイラは感じていた。
ジョアンナもそう思っていたのを作品で知ったとき、素直に嬉しいと思った。
オイラの感性も、まんざら腐ってはいないようだという意味で。
サリンジャーの強い影響を受けたのであろうか、
ジョアンナの語りの中に、サリンジャー的な表現がたまに出てくるのも微笑ましい。
また、米国における出版事情についても挿入話として語られており、
興味をそそられる。
デイビッド・ゴードンはこういう環境で書いているのか、と想像できる。