「小説家 大岡昇平」を読んでから、
「一九八四」が読みかけだったのを思い出して、読み終わる。
なぜ読みかけになったのか考えると、
きっと序盤がつまらないと感じたからだ。
そうこうしている内に、書店で見つけたオモロそうな他の書籍を開いてしまって、
止まらなくなってしまうからだ。
だが、途中で「一九八四」を放ってしまったのは、実に愚かなことだった。
まさに読むのを止めた、その次のページから、
この物語は急速にオモロクなっていたからだ。
そのオモロさのキーになっているのは、
ジュリアという女性だというヒントだけ言っておこう。
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「一九八四」解説をトマス・ピンチョンが書いていると、今日初めて気がついた。
なかなか辛口な解説なのであるが、
「一九八四」がどれほど政治小説なのかが、よくわかった。
また、トマス・ピンチョンによる、
ジョージ・オーエル「一九八四」予言的中力を診断する話はオモロイ。
★「一九八四」
ジョージ・オーウェル著 高橋和久訳 早川書房 860円+税
2009.7.25.発行 2014.7.15.二十刷
この高橋和久訳の「一九八四」は、一部空白であった内容を補完した新訳だという。
また、村上春樹「1Q84」と、ジョージ・オーウェル「一九八四」とには、
題名だけが似ているのであって、内容に関連はないとわかった。
なにしろ「1Q84」の方は、
村上春樹が1984年に実際に藤沢市鵠沼に住んでいたということこそが、ポイントだからだ。
ただし、「一九八四」に出てくる思想警察が、
「1Q84」の序盤で出てくる不思議な形をした拳銃を有する警察官と、
創作上リンクしている可能性はあるかもしれない。
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トマス・ピンチョン「V.」ほど登場人物が多くない、
ジョージ・オーウェル「一九八四」は、その点から比較すると、とても読みやすい。
ひとつの作品に、何人の登場人物が出てくるのかという適正人数という面でも、
これは参考になる小説なのではないか。
読者の頭脳というスクリーンに映し出すための、
小説という文字でできているフィルムに潜ませる、登場人物の数。
その陰影の付け方。
ストーリーをよどませない進行。