一九七六年にアメリカの心理学者ジュリアン・ジェインズが示した説によると、
紀元前二〇〇〇年紀末まで人間は内観する意識をもたず、
その心は基本的に二つに分かれていて、
左脳半球は右脳半球からの指令に従っていたという。
その指令は幻聴というかたちをとり、神々の声として解釈された。
ジェインズによると、
およそ三〇〇〇年前にこの左脳半球と右脳半球の分業が崩壊し始めたという。
脳半球どうしがよりスムーズにやりとりするようになると、
内観のような認知プロセスの発達が可能になった。
意識の起源は、二つの脳半球が一緒にテーブルについて
折り合いをつけることができるようになったことにある、
とジェインズは主張している。
ジェインズの説がこの後残っていくものかどうかまだわからないが、
この提案は無視するにはあまりに興味深いものだ。
*********************************************
★「意識は傍観者である ~脳の知られざる営み~」
デイヴィッド・イーグルマン著 大田直子訳 早川書房 2,400円+税
2012.4.15.初版発行 2013.8.25.3版発行
「脳はライバルからなるチーム」P.169~170より抜粋
書籍を黙読できるようになったとき、
人間に意識が生まれたという説もあるというので、
これとも関連があるのかもしれない。
この書籍のタイトルが呈しているように、
脳という臓器の働きにおいて、
意識というものがいかに氷山の一角であるのか、
とうとうと物語っている書籍だ。
「意識の地下2階に降りる」という創作手法の謎にこだわっているオイラは、
この書籍を知って飛びついた。
現在、半ばまで読んできたところ。
なにかヒントが出てくるのではないかとワクワクしている。
PS:読売新聞書評欄で、デイヴィッド・ゴードンの新作「雪山の白い虎」を知って、
取り寄せたところだ。
こちらも読みたくて仕方のない小説で、
先頭の「男の乳房が揺れる夏」というオモロイタイトルの作品を、まず読んだ。
桑田佳祐でも、こういうタイトルはつけられないだろう。
「さらばだ、諸君!」といって汽船から飛び降りて死んだ、
ハート・クレインの逸話でもって、初っぱなから楽しませてくれる。
デイヴィッド・ゴードンがどんだけ日本の小説に詳しいかは、また明日。