以前住んでいた街にある床屋でボーズにしてきたあと、
散策していると、いつの間にか古本屋ができていた。
すぐに気に入った書籍を4冊ほど購入して、もっとも興味の湧く書籍から目をとおした。
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意識が機能だということは、強調しておくべきだろう。
意識はなにかの実体だという感じがふつうするからである。
自我も意識だから、はたらきのはずだが、
実体に近いものと感じている人が多いのではないか。
というより、普通は実体だと信じられている。
記述のように「意識が実在する」という感覚は、きわめて強いからである。
それが自我に強い実在感を与える。
欧米では、社会がそれを増強する。
念のためだが、あれだけ「個を主張する」アメリカ人でも、
神経科学者のなかには、「自我なんてない」と考える人が増えている。
その根拠は、脳機能が意識に先行する例が知られるようになったからである。
たとえば、「水を飲もう」と思って、コップのほうに手を出すとする。
じつはそう「思う」〇・五秒前に、「水を飲む」行動に対して、
脳はすでに動き出している。
いまではそうした測定が可能になった。
それなら「水を飲もう」という意識は、
「無意識である」脳機能の後追いなのである。
意識は「自分が水を飲もうと」思ったから、
「その思いがコップに向かって手を出させる」と「思っている」。
それは逆である。
心理学では、「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ」ということがある。
常識的な意識は「そんなバカな」と思うだろうが、
じつはその「常識的な意識」のほうが、たぶんウソなのである。
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★「無思想の発見」
養老孟司著 筑摩書房 720円+税(だけど100円) 2005.12.20.第二刷
「意識は後追いの機能に過ぎない」P.40~41より抜粋
まいど養老孟司は、オイラの妄想を刺激してくれてオモロイ。
というわけで、
その当時には小説をほとんど読まなかったオイラが、
村上春樹の「1Q84」をなーんとなく手に取ったのは、
「無意識である」脳機能の後追いなのであった。
オイラに憑いている神社の眷属たちが、
オイラの無意識にささやいて、
そーなったに違いないのだ。
それによってオイラは、
「シビックハイブリッドって、燃費いいんだってね」という、
レイモンド・チャンドラーに由来した村上春樹的な
地の文でのジャズ・フレーズによって、
「1Q84」ではオイラ自身がさまざまな材料になっていると発見したのだ。
(その情報源はマエストロ掲示板だが、今では廃止されてしまった)
オイラの手を離れたシビックハイブリッドは、
その後、福島に行っていると次のユーザからの不思議な電話で判明したが、
いまではどーなっているのか、わからない。
廃車になっている可能性も高い。
それにしても無意識って、ホントに不思議だ。