理系畑を歩んでいると、文学理論について学ぶことはほとんどない。
少なくともオイラはそうだった。
その上、小説を読み込んできた時間も少ない人間が、
いきなり小説を書くといっても、それは無理な話だろう。
中には、小説など読んだこともないのに、
大ヒットを飛ばした理系出身の作家Mというがいると知ってはいるけれど。
しかも、その人は書籍にて、「小説なんか読むんじゃない」と書いていた。
この作家のセンスの良さというのは、認めるしかないと思うけれど。
あるいは、出版社の戦略も優れていたと思うけれど。
編集者を含めたプロの読み手は、
ほとんどの小説がオモロクないという。
それくらい小説を読み込んできているので、
内容のパターンがわかってしまうらしい。
少なくとも言えるのは、小説を読まないヒット作家Mはデビュー時に、
そんなプロの読み手を唸らせる何かを持っていたということだ。
オイラはこの作家Mの作品を読んだことがないので、
それが何であるのかは想像するばかりとなり、いまだにミステリーだ。
色々な材料を、作品中で提起する方法にミソがありそうなのだが。
ところで、そういう作家もいるということを念頭に置きつつも、
オイラの場合には、まずは純粋に小説にまつわる理論体系を知りたい。
かねがねそう思ってきたので、次の書籍を発見できたのは幸運だった。
★「批評理論入門 ~フランケンシュタイン解剖講義~」
廣野由美子著 中公新書 780円+税 2005.3.25.発行
1818年にイギリスの小説家メアリ・シェリーによって書かれた
『フランケンシュタイン ~あるいは現代のプロメテウス~』を土台にして、
小説技巧と批評理論について語った入門書である。
小説技巧:冒頭、ストーリーとプロット、語り手、焦点化、提示と叙述、時間、性格描写、
アイロニー、声、イメジャリー、反復、異化、間テクスト性、メタフィクション、結末
批評理論:伝統的批評(道徳的批評、伝記的批評)、ジャンル批評(ロマン主義文学、ゴシック小説、
リアリズム小説、サイエンス・フィクション)、読者反応批評、精神分析批評(フロイト的
解釈、ユング的解釈、神話批評、ラカン的解釈)フェミニズム批評、ジェンダー批評(ゲイ
批評、レ●ビアン批評)、マルクス主義批評、文化批評、ポストコロニアル批評、
新歴史主義、文体論的批評、透明な批評
これらのことをすべて、実際に書かれた『フランケンシュタイン』に絡めて解説しているのだ。
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小説の読み方には、小説の内へ入ってゆく方法と、小説の外へ出てゆく方法とがある。
ルネ・ウェレッタとオースティン・ウォレンは『文学の理論』(一九四九)において、
前者を「内在的アプローチ」、後者を「外在的アプローチ」と読んでいる。
内在的アプローチとは、小説の形式や技法、テクストの構造や言語を調べることで、
しばしば形式主義(フォルマリズム)と呼ばれる。
それに対して、外在的アプローチは、文学テクストが世界の一部であるということを前提として、
文学以外の対象や理念を研究するために文学テクストを利用する。
近年では、外在的方法を基本とする批評理論が注目を浴びるようになり、
文学テクストの内へと向かう技法研究は、古色蒼然たるもののように見られる傾向がある。
しかし、批評理論を知っているからといって、小説が読めるということにはならない。
具体的な作品を抜きにして理論について語ることは、空しい。
小説が言語によって書かれたものである以上、
テクストを中心に置くことなしに批評が先行することはありえないはずだからだ。
もしテクストを抜きにした議論であるならば、それは批評研究ではあっても、小説研究ではない。
小説を研究するためには、まずそのテクストの成り立ちを調べること、
つまり技法的側面から分析することが不可欠なのである。
(略)
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以上は、同書・まえがきからの抜粋だ。
この後の文章も、オイラの琴線に触れっぱなしな内容となっている。
もうすぐこの書籍を読み終えるけれど、
まえがきを読んで鳴り出した琴線は、いまだ鳴り止むことがない。