酔性夢死の快楽──酒の詩人A
A(701~762)は有名な酒の詩人です。
日本でも、奈良時代の大伴旅人は、酒をたたえる歌をたくさん作ったので知られていますが、
Aはそれよりももっと徹底していました。
Aが生きていたのは、中国の唐の時代、──玄宗皇帝や楊貴妃が、
わが世の春を謳歌していた、当時世界でもっとも強大な文化国家の時代でした。
若いころ放浪の生活を送ったあとに、その文才を認められて、
唐の都である長安にはるばるやってきたAは、
やがて玄宗皇帝の側近となり、おおいにはぶりをきかせますが、
生来の向こう見ずな喧嘩っぱやい性質がわざわいして、たちまち失脚、
宮中を追われ、ふたたび気ままな放浪生活を送るようになります。
そうしたなかにあって、Aは毎日のように酒におぼれ、
放蕩無頼のふるまいをほしいままにしておりました。
白昼、道のまんなかで酔っぱらって寝てしまうようなこともあれば、
ほろ酔いきげんで宮中へ伺候したりすることもある。
唐の宮廷の争いごとや、自分を陥れようとする人たちの陰謀につくづくいや気がさして、
わざと放埒なふるまいをするようになったのだ、という意見もありますが、
ときには皇帝に向かって、ずけずけとおうへいな口をきいたり、
長安の貴族の子弟と街頭ではでな立ちまわりを演じたりするほどの血の気の多い性格は、
たぶん、生まれつきのものだったのでしょう。
彼の大酒飲みの評判は市中に鳴りひびき、
当時の人々は、彼を酒仙翁と呼びました。
(略)
Aの死については、いかにも彼にふさわしい伝説が、むかしから語られています。
それは、彼が酔っぱらって船にのり、采石磯(さいせきき)という地へくると、
水にうつる月影をとらえようとして、
あやまって水中に落ち、おぼれたのだというのです。
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★「快楽主義の哲学」
澁澤龍彦著 文春文庫 467円+税 1996.2.10.第1刷 2010.6.15.第18刷
P.139~143より改変抜粋(改変は文中にて”A”とした部分)
実に愉快な書籍であった。
いまやほとんどの人間が99%の貧乏人になっている現在、
その鬱憤を晴らす材料が満載な書籍となっている。
キーワードは、孤高、一匹狼、隠者、精神の貴族などとなろうか。
いや、読み方によっては、また違うキーワードが鮮やかに浮かび上がってくるのだけど、
その読み方が色々と出来るところもオモロイ。
読み終わってみると、
平素から冗談の通じないオイラにとっても、
そうした硬直しきった心が、温泉にでも浸かったかのようにほぐれてくる。
この書籍には、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」的な世界が広がっている。
と言っても、オイラは若いころに神社で不思議な体験をして以来、
悪いことをするとすぐに厳しいことが起こってしまうので、
この書籍の世界をすぐさま真似るなんてことはできないのだけれど、
酒に関する事柄だけは、すでにハチャメチャをしているのだし、
麻薬以外のことであれば、そう抵抗があるわけでもない。
また、オイラのような哲学の初心者にとってもわかりやすく、
その導入部分を教えてくれているところもイイ。
ソクラテスが、あんな奴だなんて知らなかった。
抜粋したのは、オモロイエピソードのある有名人を、
快楽主義の具体例として挙げたところ。
(他は、ディオゲネス、アレティノ、カザノヴァ、サド、ゲーテ、サヴァラン、ワイルド、
ジャリ、コクトー)
Aは「李白」だ。
李白がこんなにオモロイ男だとは知らなかったので、
彼の書いた詩についても、少しは勉強してみようかという気分だって湧いてくる。
李白のことも、杉田圭だったら「うた恋い。」みたいに描けるだろう。
PS1:李白の死に方だけど、なんだか「吾輩は猫である」を彷彿としないか。
PS2:酒乱は遺伝する。
オイラは酒乱3代目だ。
子供のころに、酒乱な親父にさんざん我慢していると、
その子の将来は、オイラのように怒りの耐性がない人間になってしまう。
けれども今思うと、この怒りの耐性がなかったために、
IT談合と戦えたような気もする。
やっぱりオイラは、巫女的に選ばれてしまったネコだったのだろうか?