ひとりは年長の哲学者で、彼がこの学問に対する聞き手。
もうひとりはこの学問の専門家で、先生役となっている。
ふとしたことで知り合った二人なのだが、
生徒に扮するこの聞き手の哲学者は、只者ではないのであった。
何かにつけて先生に呈する疑問がいちいち鋭くって、
先生の方もタジタジになってしまう。
第一章から、とてもオモロイ。
世界中の言語を扱うという言語学の成立と変遷、
各種の言語学における長所と短所を理解していくうちに、
そうした研究の流れ(考え方)が、他のことにも応用できそうに思えてくる。
また、「日本語の間接受け身は、英語に直すのが難しい」
など、翻訳系の知識が満載なのもオモロイ。
きっと村上春樹は、こうしたことも念頭に置いて
日本語で小説を書いているのだろう。
で、このあとをこれから読むのだが。
(だってデータベースのメンテナンスとか、月刊ムーとか読んでたので)
オイラがこの書籍を買った理由は、
目次を見たときに、
「第5回 村上春樹を読んでいる メトニミーをどう捉えるか」
「第6回 夜の底が白くなった メタファー、そして新しい言語学へ」
というタイトルが目に飛び込んできたからだ。
これら章中で「(メタファーは)言語学なのか哲学なのか」とか
「言語はつねに揺らぎを持っている」の関係など、
それはそれは、興味深いタイトルが目白押しとなっている。
第6回なんぞは、大沢在昌も読みたいのではないか?
彼はかつて、ある自著の中で、
「私には、”夜の底が白くなった” なんて表現は思いつけない」
と感想を書いていたことがある。
なお、この表現は、川端康成の「雪国」冒頭に出てくる表現だ。
小説を書いてみたいというのなら、
この書籍を読まないわけには、いかないではないか。
★「言語学の教室」
西村義樹(言語学者)・野矢茂樹(哲学者)著 中公新書 840円+税
2013.6.25.初版 2013.7.15.再版
オイラの目標は、
エゴラッピングのボーカル兼作詞家・中納良恵に近づくこと。
言語感性を少しでも向上させるということ。
「色彩のブルース」、「縦書きの雨」といった表現を見いだせるかということ。
彼女の詞は、短編を書くときの構成にもつながる。
エゴラッピングの曲風は、長編を書くときのアレンジメントにもつながる。
エゴラッピングの音楽には、そんないろんな要素が満載になってる。
オイラはもう、魅了されて仕方がない。