(略)はっきり申し上げますが、
日本におけるやくざの誰一人とっても、天皇を敬わない者はありません。
身がやくざなため、天皇に接見出来る機会など絶対ないと言えます。
しかし、天皇の行幸に難事が起きないのは何故でしょう。
太古の昔から、こうした天皇の外出時には嘘部の民はもとより、
各地の裏社会に生きる人々は陰ながら手を組み、
警固の輪を張り巡らせて護り抜く努力を惜しまなかったからです。
天皇・皇后両陛下はそれを御存じなのです。
私どもには知らされぬ事ですが、
天皇は皇居内の賢所にて、深夜の二時十五分に、
古式の則る祷りを行っているそうです。
その祈願の中には、表に出ない民の幸せや安穏を慮る文言があると言われています。
国歌と国民の安寧を願って、連綿と続いている天皇としての職務だと聞きますが、
これを週の内の定められた日々、密かに続けておられるのです。
大変なことです。
午前二時十五分には意味があると、私は気が付きました。
それは丑三つ時と言われた時間です。
神が降臨する時間がこの時間だと言われています。
陛下も、この時間に祷りを行っているのですから、奥が深いことと思えます。
(略)
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★「やくざと芸能と私の愛した日本人」
なべおさみ著 イースト・プレス 2014.8.1.初版第5冊 P.239~240より抜粋
前半は、著者の若い頃の芸能ネタ披露となっており、中でも野坂昭如の件がオモロイ。
戦後だったので、役人に化けてうどん粉で水増しした(?)DDTを売りさばいて稼いだという。
因みに野坂昭如と言えば「火垂るの墓」だけど、
野坂本人が「あの話は全部フィクションなんだってば」と、
小説現代かどこかで語っているのを読んだ。
野坂は根っからの、憎めない詐欺師なようだ。
中盤からは、著者が同和問題に絡め深めていった日本の歴史的な考察となっている。
特に日ユ同祖論・秦一族に絡んだ話が、なかなか秀逸でありオモロイ。
テーマは、「ワタナベ」という姓についての話だ。
とても説得力がある。
ヤクザの大物とも付き合いのある著者は、実名でネタを披露している。
上の抜粋した部分は、その一部。
この中で、深夜二時十五分という時間に、オイラは注目した。
オイラが18の頃、神社で体験した不思議な現象が、
やはり丑三つ時だったからだ。
通い出してから数週間目のことだったと思う。
あまりに不思議な体験だったので、それがどういう現象なのか確かめようと、
オイラは明け方まで参拝殿で粘った。
その時に、さらに幼い頃にTVで視た、早朝の日本テレビ(?)で放送していた宗教番組で、
老神父が十字架の前で祈りを捧げている時に、
オイラと同じ現象に遭遇したという話を思い出した。
この頃から、世界中の宗教というものは、
実はすべて同根なのではないかと、想うようになった。
後年になって、日ユ同祖論を知り、
稲荷=INRI:キリスト教だという説に遭遇するに至ると、
ますますそうした想いに耽溺していく自分を、止められない。
これはもう、「Hard Times」の歌詞そのものだ。
オイラが遭遇したのは「光」だ。
歌詞の中に出てくる「遠く離れた電話の声」を、
「意識の中で瞬く光」にすれば、パーフェクトだ。
目を閉じるとモールス信号のように瞬く、オレンジ色の暖かい光。
あの時、甚だしい多幸感に包まれて、永遠にそのままでいたかった。
明け方、とうとう謎を解明するのを諦めて、いやいや神社を後にした。
家に着いてからも、胸の鼓動が鳴り止むことはなかった。
そのあと、眠りについたのかどうか、もう覚えてはいない。