昨年、日ハムの最下位を予想したのは、オイラだ。
理由は、斉藤を肩の故障という怪我とはいえ、二軍落ちにしたからだった。
伏見稲荷の息のかかった人間を邪険にすると、こうなるようだ。
こういう話は、宗教臭せえか?
村上春樹は、一見冷たいようで優しい男だから、
「海辺のカフカ」では、「落雷に落ちて助かった人間はどれくらいいるのだろうか?」
という問いかけを予言めいて、していたのだけれども、
その本心は、三浦しをんの「光」にあるように、違っている。
彼らはファミリーなんだな。
阿部寛と遠藤憲一がCMに採用され続けているのは、
彼らの、一般には視えない御利益を、採用している企業が期待しているからだと思う。
この両俳優と斎藤佑樹は、
東京の東伏見稲荷を参拝しており、それから本格的なブレイクをみた。
この一点だけ視ても、そういう不可思議な力を信じてみたいという、
俗世的な力が働いたって、不思議じゃないだろう。
こういう話は、ちっとも宗教臭くないんだろ?
ところで、宗教臭いって、どういう意味なのだろうか。
自分の都合の悪いところだけ知らんぷりして、
宝くじとかそういうところだけ信じる口ってのいうのはな、
それって悪魔信仰だろ。
「アフターダーク」でよ、
てめえが買おうとしている商品の期限だけみてるなんて野郎はな、
クソなんだよ。
お前だけがよければ、それでいいんだろ?
そんなやつにはな、選挙権なんてやらなくっていいんだよ。
まともな政治判断なんて、そんな奴らに出来るわけないだろ。
そんな奴らに選挙権なんて渡して、どーすんだ。
あーでも、そもそも選挙なんてイカサマだからな。
不思議なのは、そーとわかっていても日本の権力中枢は、縁起を担ぐってことだ。
そうでなければ、表題のふたりがCMに出続ける理由なんてないんだよ。
気に入らないだろうけれども、オイラもそういう意味では絶好調なんだな。
処方箋のたった一枚で、売り上げが・・・てのが、来たりするんだよ。
表に出なくってもな、陰で御利益ってものは作用しているんだよ。
稲荷ってのはな、好かれれば御利益がバカにならないけれども、
邪険にしてきた人間ってのは、みんな死んじまうんだよ。
オイラは結果的に、俗人なんだけども神社の巫女だ。
それも、かなり稲荷の入った巫女だ。
だから、オイラを邪険にしてきた奴らは、ほとんど全員、不思議な死に方をしてきた。
(だからこれを、私小説にしたい)
でも不思議なことにこれって、
大きな権力をにぎっているルシファー信仰の奴らと、結果があんまり違わない。
彼らは奇蹟ではなくって、いろいろな現世での実力行使をしてくるからだ。
結局はこれ、ガチンコ勝負なんだろうな。
魂のレベルのな。
魂のレベルに話が食い込むと、暴力につながるってのはな、
故・河合隼雄が書物でさんざん書いてきたけど、それってホントウの話なんだよ。